つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

人との縁、性交

2009-07-31 | Weblog
睡欲は我慢することはできない。我慢しても、直眠ってしまう。
食欲は我慢することはできない。ある程度調整しても、
体の維持に不可欠。我慢して死となる。
性欲は煩悩。我慢してできないことはない。
この性欲の調整によって、苦しみの根源を絶つことができる。
生老病死の苦からの解脱となる。
性欲を滅して魂の安息を得る。
生命の涅槃となる。

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類は・・・

2009-07-30 | Weblog
綺麗なものには綺麗なものが、
汚いものには汚いものが集まる。これは世の道理である。

みみっちい人に出会う。その時、心にこう思う。
‘今、自分はけち臭い人になっている。
小さなことに囚われているようだ。大らかにならねば’と。
変な人に出会う。
‘今、なんか変な自分がいる。迷っているようだ。
冷静に判断しよう’と。
嫌な人に出会う。
‘今、自分は厭味な人になっている。つつしまなくては’と。
快い人に出会う。
‘さわやかな気持ちだ。倹しいことはいいことだ。が、ケチではない。
荷物を抱えることは、苦しい。
ささやか、それでよい’と。

綺麗に化粧した女は、美しさに憧れている。
これでもかというほど顔、スタイルをメイクして
飾りたてた。そして、満足したようにため息ついて、
タバコを吸った。
彼女は、美しくなりたいと、でも偽る。いや、道理をまだ知らなかった。
金粉で飾られたウンコとも言える。当然、
そこに群がったのは、身分の卑しい者達だった。
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最後の間際には・・・

2009-07-29 | Weblog
今一度、
ローソクの灯が消える間際、
一時的に大きく燃え上がる。
灯は、このままずっと続くように思ってしまうが、すぐ真っ暗となる。
これと同じように、
何かよろしくない状態に陥る時、
もやもやとした様相が、晴れやかになる。が、
後、暗闇が訪れる。
一時的に反発する、物事の最後。
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金に支配されたよ(世)

2009-07-28 | Weblog
お金は使うものだ。しまいこんでおくものではない。
御足とも言われるし、円くまわるものである。
人の為にあるものだから、人に使ってこそ大きくなって返ってくるものである。
人の為になって繁栄していくものであるのに、
使うべきところに使わず、出し惜しみし、ケチる。
動かずためるものは腐る。悪臭を放つものとなる。そして、悪さをするようになる。
今、お金は一部の執着心の強いものによってかき集められて、
出回らない。
使うためにあるものに、人が使われてしまい、挙句の果て、お金によって
死に至る。お金に殺されてしまう世の中になった。
お金によって人の心まで買われて、魔がさすことのなんと多いことか。
今の社会、経済的理由で自らの命を絶つ人が増えている。
お金によって、つまらぬ欲望が頭をもたげ、悩み苦しみ、健康まで害する。
その健康の理由で、また悩み苦しみ、命を絶つ人も多い。

金は弱者に使って、健全となっていく。
独り占めして、握り締めては、腐って、互いの命を奪うものとなる。
仏は言う。一様に、散財しなさいと。執着は煩悩、悪である。
人によく使って、為となり、命を救うものとなる。
金に支配された世直しは、
お金は人の為に使え、特に弱きものに・・・。後、何かにつけ互いに喜びとなるから。



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輪廻の行為

2009-07-27 | Weblog
人の行為として、性行為がある。
人が人であるための行為で、これが輪廻となっていく。
性行為が無ければ、母胎に宿ることが無く、輪廻の絆も絶える。
人としての縁が無くなる。
禁欲は、終には生の苦しみから解き放たれる。
生まれが無ければ、老病死が無くなる。
故に、異性を思うな。
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自分のために

2009-07-27 | Weblog
自己中心的に考える人が多くなってきて、
社会はどんどん荒んでいくばかり。
表向き綺麗に飾り、その裏は薄汚れている。
互いの欲の駆け引きばかり。

人は涙を流すことができる。哀れみ愛しむことができる。
似非になるな。心を偽るな。どんなことにも本物となってあたれ。
常々、自分にそう言い聞かせて、
辛くない人生など無いことを心得、
労わりを持って生きる。
この人もまた、我もまた、憐れなる者と知って、
僅かな時の流れの中、優しく生きて悔いることは無い。

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哀しい性だから

2009-07-26 | Weblog
生きることは、他の命を奪い、己の命の糧とすること。
けっして殺生せず生きることはできない。
‘殺生するべからず’は意味も無くむやみにということになる。
生きることは
他の犠牲を伴ってかなう。ならば、
いただかねばならないそのものを敬い、その質を
わが身の命の中で生かしてあげるべきである。
殺生する身である以上、つつしみつつましく、頭をたれて生きるべし。
幾千万もの命を味方につけて、と、愛しみ生きるべし。
哀しい性の身であるだけに・・・。
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聞くから聴くへ

2009-07-25 | Weblog
身をもって聞き入ることは、
耳の徳となって、為となる。興味のあるものには、身を入れて
聴くために、その道の通となり、敬われる。だから、
耳が徳するために、よく聴いてみよう。聞くから聴くへ、
耳を澄ませば・・・天使のささやきが聴こえてくる。
天使はいつもささやいているのだから。

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経験が・・・

2009-07-24 | Weblog
知恵を持って物事を見る。
知恵は経験によって得られる。
経験が識となり、識は記憶となって思いとなる。
この思いが判断となり、知恵の判断となるために
誤ることが無い。
経験によって恵られた知は、
自分の識であるために、忘れることが無い。
初めて自転車を乗る時の、練習を思えばよい。
自分の感覚で、
何度も、あらやこれや繰り返したあげく、得られた適当な感覚が識となって記憶となる。
様々なその記憶が統一されて想念となる。
想念が心の判断となる。
脳が経験したものは、身体が忘れることが無いために、
思い巡らすことが無くても、すぐにそのものに対応できるものとなってくる。
これが知恵の判断である。
あれこれ迷うことの無い判断で、即断となる。
だから、一度覚えた自転車乗りは、考えることなくすぐに乗れる。
知恵の身についた判断であるために。
よく道理に適ったためにできた事柄で、よく知恵を身につけることによって、
あらゆる事柄に迷うことなく、答えを出せるようになる。


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崩壊の時が迫りくるためにささやく

2009-07-22 | Weblog
遠い人ごとのように思えた事件、事故が
いまでは身近に、それも、ありふれたように起こるようになってくる。

少し昔、見かけとその物は理に適っていたように思われるが、
高度成長をある程度果たしたその後は、
見かけと中身があわないひ弱なものが多くなった。世間は、
見掛け倒しなものでつくられて、私利私欲が優先された結果の、
本物もどきが多くなった。
そういう世間は自然に弱く、想像をはるかに超えて猛威に崩れ去る。

‘何かに耐えうるもの’は、何かに耐えうる形と、その気を放つ。そして、
何かの猛威にあったとき、その姿形はボロボロながら何かを守る。
良いものと言うのは おとなしく、語らずとも気がそれとなく伝える。
まなこの開いた人は、その気を見分ける。
私利私欲に走る社会は、本物ともどきを見分けることができず、
迷いながら、迷わず間違う。本物もどきの世間は、
さて、崩壊の兆候はいよいよ盛んに、そして、
終焉の時を向えつつある。

まなこの開いた人だけが、
その危機を逃れる。ただ、理に適っているために。

世の中は、自分の欲を優先させて、更に更にと手に余すほど貪ろうとする。
弱者を思うことなく、分かち合うことなく。
そういう社会になってしまったための歪みである。
起こるべくして起きている、天災は人災でもある。




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