つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

謙虚

2007-04-30 | Weblog
この世は泡沫、幻の如く。
慎ましく、倹しく
いつも静かで、とらわれることなく、
心おちつけて、ざわめくことのないように。
求めるものは少なくてあれ。
この世の事は幻だから
とらわれて苦を生む。
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わかる人もいる

2007-04-29 | Weblog
一日は速い。あっという間に過ぎていく。
今日、何をしたのだろう? 特に記憶となることも無く、ただ
過ぎただけ。それを‘虚しく’というのだろうか?
運命の人に出会うことも無く、取り留めも無く過ぎ去る。
時間。このつかみどころの無い、見えない、得体の知れないエネルギーに、無理やりに運ばれて、
先ほどの自分はどこにも無く、少しくすんだ自分がいる。
気づかずに、僅かながら朽ちていく。
人は死ぬ為に生まれてくる。この答えがわからない為に、人は
悪に紛れる。
実に、善いことは為しにくく、悪いことは為しやすい。
善いことは、はじめ辛さが伴い、悪いことは瞬時に快い。
だから、一般によく騙される。
善いことは 後、長く心地よくて、悪いことは 後、長く苦しむ。
縁起を知ろう。
一日は速い。年老いぬまに ‘善は急げ’という。
善いことを少しでも多くしよう。
死後、幸せになるために・・・。(^_-)


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元に返る

2007-04-28 | Weblog
世は常に回っていて、必ず元に戻ってくる。
回っているために円となって
必ず元に返る。
だから、悪い事は悪い事として返り、善いことは善いこととして返る。
為した行いは、為した行いどおりのことが返る。時節に応じて
いずれだったり、すぐだったり。かたちは変わるが必ずという理で。
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無明

2007-04-27 | Weblog
昨日いた人は
今日、もういない。
自分の死というものを身近に感じる事も無く、
神も仏も曖昧で信じる事も無く、ただ世間を感じて生きていただけの人。
死という出来事を境に、一瞬にして
垣間見る事もなかったあの世へと移動する。
その時、神も仏も信じなかった疑いの心は
さて、なにを見たのだろう?それから何を見るのだろう?
この世で説かれていた神、仏を理解するのだろうか?
本当だったと・・・
後悔先に立たずという。
真実を見る魂は、はたして嘆き憂えるものか。
この世の曖昧模糊とした現象が、しかし、確かにあったことが
何の意味を持っていたのか知り得るだろうか?

観自在菩薩の啓示として説かれた心経は、その中で あの世は「不垢不浄」と語っている。
それは、、綺麗とも汚いとも思わないという
感情の一切動く事がない世界であるとしている。
もし、この世という傍から見たら、それは恐ろしいほど荒んな処であったとしても、そこに棲む者は当たり前の世界だとして
反省される事がない。どんなに苦しんでいたとしても。
苦しむのが当たり前として、苦しみながら生きている。
地獄となっていることに気がつくことがなく、救われる事のない世界となるとしている。
この世の存在は、人の死後の世界のためにある。
生命そのものの世界である法の絶対世界をつくるためにある。
人の死後の世界が、生命の快い世界とするか、不快な世界とするかを決める事のできる
場であるとして、この世の存在となっている。
そのために、曖昧な自由を持つ。法の自由であり、生命の自由である。
その自由を持って人は生きている。自分の為として。
それが人は分からない。故に、悪い事をして地獄に縁を結ぶ。
仏が悪い事をしてはならないというのがなぜなのか。
人は、自分の為ということがわからず生きている。
無明である。




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非心悲心

2007-04-26 | Weblog
嘘をついているかどうかを心は知っている。嘘をつく後ろめたさを
哀しく見つめる哀しい自分が切ないと思いながらも嘘をつく。
不快な思いに悩まされながら、そんな自分はいなくなれと
嘘をつく心がいう。それが本心であるのに、心は
嘘に騙される。
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同化して

2007-04-25 | Weblog
人の常識で死を判断するために、あの世が理解できない。
人の常識で生命を判断するために、自分が分からない。
人の常識が法の非常識であるために、生命が、死が、あの世が分からない。
自分が何なのか分からない。
人の識が誤っている為に、すべての判断が誤りとなって、
その誤りに気がつかない。
高速で走っている車の中の自分は止まっていて、
高速で動いている自分に気がつかないようなものである。
同化してしまうと分からなくなる。
誤っていても、
それが正しいとなって、誤りに気がつかなくなる。

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思わない

2007-04-24 | Weblog
夢の現象は
あの世の現象と同じ。
あの世は夢の世界と同じ世界だから、今、
夢を見ていても、夢を見ている自分は夢を見ているとは思わないように、
自分が死んでも、死んだとは思わない。瞬時、死後の世界で生きているからである。
夢に時間も空間も無いように、あの世にも時間と空間が無い。そのために、
様々な事柄が入り混じり瞬間に場面が変わる。が、それを変だとは思うことも無い。
どんなに長い間夢を見ていたとしても、飽きてしまう事がない。それと同じく、
どんなに長い間あの世にいたとしても飽きる事がない。
時間と空間が無いとはそのような事である。
生前の行為が縁となって
趣いたあの世は、その行為の強い記憶が展開されていく。
その縁によって、稀なる時間を持って再び彼の世に生まれた時、
彼の世に生まれたとは思わない。
生まれて来た時、誰も、生まれてきたと認識できないように。
生命は縁という理を知らない限り輪廻する。

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見えないだけ

2007-04-20 | Weblog
見えない力を信じる。
見えないから無いではなく、見えなくても力は存在する。
単に見えないというだけで、無いわけではない。
事実、テレビは映り、ラジオは聞こえる。携帯電話は
ここにいない知り合いの姿と声を、ここにいるかのように伝える。
でも、伝える媒体は見えない。
人には第六感というものがある。目には見えない気の力。
気を集めて制御するのは、瞑想を極めて成る。
以心伝心は極めて身近にある技術。
思いの力は縦横無尽に事を操る。
それは、かたち無く見えるものではないが‘ある’。
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自分の為に・・・

2007-04-19 | Weblog
人を殺すものは人に殺され、怨む人は怨まれて、謗る人は謗られて、
害する人は害われる、と仏は言う。
生命エネルギーは死が無いために、悠久の昔より輪廻転生している。
あの人生この人生と容を替えて縁起の中で生きている。
何時の人生なのか、悪を思い、人を殺した事があるために、
彼の世において報いを受ける。
ある人生に、罪なく暮らしているのだが、
禍に遭い人に殺される。どうして?と嘆くが、生命が何かを知らないために、
法を知る事が無く、縁起を知らない。そのために、悠久の昔の自分を知らず、
その行為を知る事ができず、自業自得の縁起を持つ事を知らない。
出遭った禍をただ憎み嘆く。
今ある人生の自分は、過去に於いていなくても、未来に於いていなくても、
何かを為した行為の報いはなくならず、時をみて必ず現れる。
それも、いつか(未来世)の人生の自分に。
生命は法によって作られていて、法が無くならない為に生命も無くならない。
法がエネルギーであり、生命もエネルギーである。
そのエネルギーの法則が円運動であるために、
始まりも終わりも無く、なくなることがないものと成っている。
ただくるくると回り廻るものである。
そのために、為した行為が縁となって返ってくる。
道理である。
現れた果は報われて、初めてそこでゼロとなる。
為した悪の行為の報いは無くなる。再び悪を為さない限り
現れる事はない。縁起である。
だから、「自分のため」に悪を為すなと言う。
悪は自分が害われるものであるために。
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信じてあげる

2007-04-18 | Weblog
疑わず信じること。
誠実であること。
嘘と分かっていても、そのまま嘘をつかれていること。
黙ってうなずいて、微笑んで、
正しい事は行い、悪い事は躊躇して、行わない。
相手を敬い、思いやって
優しさをただ与える。それを私は 道の人と認識し、
私は、そうありたい。
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