つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

仏の心配・・・

2006-05-31 | Weblog
般若心経は摩訶不思議な経典である。

あれこれと迷うことの無い、つまり、思議のいらない心に摩(みがく)訶(うた)
である。
悩み苦しむ多くの人々の心を般若心として、その心を苦しみより解き放つ方法を
詩(うた)にしているものである。

すべての経の要点を述べている。

観自在菩薩の啓示である為、真実で、
文字の持つ意味に惑わされることなく、正しく理解すれば、
最も早く悟ることができ、救われていくために最強の経典となっている。

くれぐれも誤って解釈しないようにと念をしているために、
般若心経に序文として「開経偈」をつけている。
それだけ、誤って理解してしまうと無意味なものとなってしまい、
何の力も無いものとなってしまうからである。
仏の云わんとしている真実が伝わらず、苦しみより救われなくなってしまうからである。

般若心経は、
大乗経典のすべてを集約しているものであるために、最強である。

しかし、悲しきかな、般若心経はほとんど正しく訳されていない。
仏の心配が現実となっているのである・・・。
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必ず、返ってくる

2006-05-30 | Weblog
ありのままに見れば、ただ回っている。

増えるわけでもないし、減るわけでもない。

死んで、肉体は土に返り空にかえる。

形の変化があっただけで、大きく見ても小さく見ても、変わってはいない。

増えも減りもしていない。

見えるもの、見えないもの、共に感じるもの。

はじめからあったものであるために、増えることもなく、減ることもない。

閉じた世界で、限りがあり永遠である。まわっているために。

なくなるものでないために、返ってくるものである。

形は違えど、様々な‘感じ’で返ってくる。

善しにつけ、悪しきにつけ返ってくるものであるために、できるだけ、

‘善いことだけを’として、善いことをしていくものである。(^_^)/~
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あってもない、ないようだが ある・・・

2006-05-28 | Weblog
自分あっての世である。
自分がいなければ、あっても無いのと同じ。

どんなに美しい花が咲いていても、それを見る自分がいなければ
意味の無いもの。

自分があってのあらゆるものの存在である。

あるのだが無い。

自分が死んでも、明日は確実に有る。
でも、自分には存在しない明日である。

今の自分にはあの世は無い。
死んだ自分にはこの世は無い。
共にあるのだが‘無い’、無いのだが‘ある’。・・という‘ある’‘存在’である。(・・?
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何ができるか・・・?

2006-05-27 | Weblog
 「為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり」・・・上杉鷹山の言葉である。

実に然り。

成功の「コツ」とでも言おうか。

亦、

「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」と言っている。

人は、存在を認められることを欲する。
快い言葉を好む。
その人にとって快い言葉を施す。
好語は言霊となって、互いに心地好く、活力を得る。

ほんの少しでよい、褒めることは肝心。自分にも他人にも・・。

「成らぬは人の 為さぬなりけり」と言うように、
人は、何もしなかったことについて、より後悔するものだ。

華やぐ時は特に短い。
何もしないで悔いる人生は苦るしみを生むだけである。(ーー;)
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貴方のためと言う偽り

2006-05-27 | Weblog
「私はこうして億万長者になった」という人がいる。
成功者であり、今ふうに勝ち組といわれる人。

そして、その人は「私の成功した理由を教えましょう」として、
成功の秘訣を情報という品物にして売る。

成功したのであるからすでにたくさんのお金をあつめたのに、更にもまして集めようとする。
足ることを知ることなく、更にと。

あなたにも成功してもらいたいからと言って、あなたのためにとして語る。
皆にも幸せになってもらいたい、お金持ちになってもらいたい。
私と同じ幸せな気持ちを味わってもらいたい・・等々

本当にあなたのためとするのなら、商売にするだろうか。
とりもなおさず、あなたのためにと語りかけるのは、
語りかける‘あなた’のためなのではないか?

「富める者は富める分、施さなければならない」と仏は教える。
施しは見返りは求めない。まさに 与える だけである。
これが真の「あなたのために」というものなのだが・・・。
そして、真実それは、あなたのためと語るあなたのためになるのだが・・・。
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何度も見つめて見る・・・

2006-05-25 | Weblog
仏の教えを読んで見る。
繰り返し、繰り返し読んで見る。

くどいほど何度も。

すると、分かっていたことが、分かっていたつもりだったことに気がつくことがある。

理解していた事柄が、まったく別の意味を持っていたことを知る。
通り一遍であったことに気がつく。

繰り返し繰り返し見つめるところに、真実が見えてくる。

当たり前のことに隠れた、当たり前であるべきことの「有り難い」ことが見えてくる。
もともと有る事が難しいために、めったに無い事があったとして、「有り難い、有り難い」と畏(かしこ)まる。

変化する物事の、一つの変化の過程を得ることなく、
何かのきっかけで急に悟りを開くことができることがある(できるものである)。

頓悟するのである。・・・ありがたい、ありがたい。
あ~、ありがたいことと感謝する。
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信じているから生きていける。

2006-05-24 | Weblog
人は「明日」を信じている。
明日が必ずあると分かる?から生きていける。

(でも、それはそうではないかもしれないのだが)

必ず明日が来ると信じている。
果たして、そのとうり明日は来る。


信じられるために疑いを持つことが無い。そのために安心となる。
安心しているために、力強く生きていける。

♪「また会う約束などすることもなく、それじゃ またな と別れる時の
お前がいい」♪・・・なつかしい歌謡曲の一節。

また会えると信じているから約束なんていらない。

「信じている」というのは何もいらない。憂えることが無い。
そういうことを言う。(~o~)
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無記

2006-05-23 | Weblog
 薬も用法用量を間違えると毒になる。
ナイフも使い方を誤ると害をもたらす。
車だって乗る人によって良くも悪くもなる。

物そのものが悪いのではない。
扱う側しだいでまったく逆を生む。

もともとエネルギーの法則には善悪はない。
無記である。

善悪が無いために、絶対善となって浄化の動きとなっている。
これが道理である。
道理に合わないことは存在とならないこと。
道理に合わないために、怪しいものとなり、分からないものとなり、
分からないものは恐怖となり、恐怖は悪となる。
悪を生むのも道理をしらないためである。

「自浄其意」として悪を現象しないこと。
もともと悪はないものであるために・・・

「自らにその意を浄める」・・道理である。(・o・)
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連綿

2006-05-22 | Weblog
 たとえば、例えばとして、
‘己を悪に結ぶな’と仏は言う。
‘人をあやめし者は、いずれ人にあやめられる’と教える。

悪に身を結んだ人生は、悪にまみれて、それなりである。
悪の種がまかれても、それが育ち、実が熟さない間は、悪人といえどもいい思いをする。そうこうしながら時は過ぎる。
実はやがて熟す。
早かれ、遅かれ、悪にまみれた人生も終わりを告げるが、
それからである。

死んだ時、「あっ」「そうであったのか」と世界を判断できたとしよう。
しかし、それも一瞬である。悔いることもままならず、身を結んだ世界が展開されていく。
自分が死んだということを思うこともなく、死後の世界であることを知ることもなく、生きていく。
これは、生命エネルギーである自分に死がないためである。
生前の世界がそのまま現象として死後の世界となっていく。
悪に結んだ人生の実は熟して、いよいよその報いを受ける。
この世ではないために、おおよそこの世の苦しみの比ではない。

どれくらいの間だろうか、一年、或いは百年、或いは千年、或いは万年、或いは何億年とその世界は展開する。 が、
時間も空間も持たない世界であるために、遠く隔てても輪廻するときは
死んだときと隔たりは無い。すぐである。

子供の命で死を迎えた者は、人生経験が浅いために、すぐに輪廻する。
人の時間の一年ほどで・・。

容姿は、別の人として生まれる。
前世は、過去は、リセットされたかのように、そして、
新たに子供の動きとなる。そのために、何も知らない動きとなって、
新たに人生を刻むが、少し経ったころ、何かの異変に巻き込まれて、
罪なくも命を落とす。罪もないのに殺されてしまう。
そうだから、知り合いはたいそう悲しむ、落胆する。

さて、ここで今一度、「人をあやめし者は、いずれ人にあやめられる」
その昔、人をあやめた罪の報いは訪れた。そして、罪は償われ、それなりの死後の世界が続き、
再び輪廻となって、子供の動きとなって生まれる。
新たな、真っ白な人生が始まる、ここから
自らの行為によって新たな人生が創られてられていく。 ・・・例えば、である。

悪いことをして、いい思いをしていけば、悪い人生となり、苦い思いをする。
善いことをして、よい人生としていけば、よい思いができる。だが、
よく悟り、行為(解脱の行為)としていかない限り、どちらも輪廻の苦は続く。

生まれ変わり続けることは、迷い苦しむこと。
けっして、楽になることはない。





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思う人、思わない人、・・レベル

2006-05-21 | Weblog
聴く耳を持ち、聴いて悟る者がいるのなら、それでよしとした。
救わなければならないとした使命感はない。
必要に迫られることは無いために、憂えることは無い。

どんなに教えても理解しない人。理解しない者に教えても疲れるだけである。
為にならない。意味が無い。

聴く者だけが聴けばよいとして、ただ、それなりに、平等に説いた。
救われし者はそれで救われる。

聴く耳を持たない者はそれまでである。
疑いを離れない者は仕方のないこととして、ただ、それなりに、誰にでも平等に説いた。
救われる者が少なからずいるために・・。

他ができるのは、気付きをあたえてあげられることだけである。
救うのは、救われるのは、

自らに因る、拠る、由る、依る、縁る、よるものであるために。(ーー;)
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