退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「まだ残っていた『未開』と現在も続く『未開』」について

2017-04-15 02:12:34 | Weblog
『晴れ。おだやか。

醍醐麻沙夫「アマゾン・クライマックス 巨大魚とピラルクへの旅」を読む。

昭和六十年発行だから今から32年前になる。』と書いて昨日も寝る。
現在のアマゾンは当時と比べれば「荒廃」しているのだろう。

「上品な下ネタぶり」は好ましくそれがあくまで「香辛料」となっているのがいいところ。
著者はどうやら今年82歳になる模様。

ピラルクを追い求めつつ
「後頭部に打撃を感じて」断念するあたりの「感覚」も素敵。

残念ながらその他の作品には接したことがない。
今後「ご縁」があれば読んでみたいところ。

快晴。汗ばむ陽気。

佐藤優・手嶋龍一「動乱のインテリジェンス」を古本屋で買って読む。

5年ほど前の対談。
イランが「インテリジェンス大国」であることを初めて知る。

「霞が関文学」の一部の紹介も。
「わが国は」と書くことで「相手国がどう判断するか」を「放置する技」など。

「等」と付け加えるだけで「裁量行政の幅」を広げ「天下り先」を確保する前に
「まともな外交」を行ってもらいたいもの。

少なくとも佐藤優の説く「新・帝国主義」とやらは
敢えて「無理筋」を行ないそれに対する「反応」によって「手段」を決めるものらしいから。

つまりはこちらが「毅然とした態度」を見せないと「踏み込まれる」だけ。
そのあたりの「按配」をわかった上であれこれ「采配」ができる「人材」が望ましい。

とりあえずこの二人の「レベル」を「教育の場」に持ち込んで「外交官」を育てないと。
結局この「世界」でも「人材問題」が浮き彫りになるのみ。

いずれにせよ「海外とのお付き合い」に関しては「知性」が必須。
それを感じさせることが出来れば相手もこちらを尊重するはず。

少なくとも「インテリジェンスの世界」ではそうした「ルール」があり。
その一方中国に「モラル」があるかどうかは微妙な模様。

ただし「経済における影響力」を思えば「新たなルール」が出来てもおかしくはなく。
そうした「せめぎ合い」がおそらくは「国際関係」なのだろう。

「意味不明な英語教育と『国際人』教育」を延々と続けるわが国においては
「人材」を育て集めるのが相当に難しい「事実」だけが残る。

このまま「劣化」していくうちにやがて「特異点」のような「人材」が現れるのだろうか。
「政治関係」以外ではいくらでも新たな「希望」は生まれているというのに。
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