退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『ロマンチック』あれこれ」について

2016-04-06 03:28:42 | Weblog
晴れ。青空にひこうき雲。

船曳建夫「二世論」を読む。

「文化的資本」の豊かな場所では子どもがきちんと育ちやすいのか。
もっとも「成功例」のみを挙げているのだからある程度割り引かないと。

残念ながらインタビューの質はそれほどでもなく面白いかと言われると微妙。
オリジナルは98年らしく原題は「親子の作法」。

これを「論」だと言うのは強引だろう。
「『知の技法』バブル」だと思うと読んではいないのだがふむふむ。

ジュリアン・デュヴィヴィエ「アンナ・カレニナ」(’48)を観る。

もともと神経質なヴィヴィアン・リーにはピッタリな内容。
トリュフォー「アデルの恋の物語」(’75)とはちょっと違うけれど。

結局のところ「母親」あるいは「世間」を気にする男とひたすら愛情を求める女。
「息子を捨てた負い目」と「彼を奪われる不安」が彼女を追い詰め。

「ロマンチック」というより「男の鈍感さ」が生み出した「悲劇」。
その点においては夫も恋人も同様で。

男の方からすれば「ややこしい女」ということになるのだろう。
互いの「いたずらな美貌」が招いた結果よ。

おそらく男女の間に横たわる同様の「深い河」は現代でもあるはず。
すでに「船を漕ぐこと」をあきらめているような人々も少なからず。

ところで。

「幸せな結婚あるいは家族」がもてはやされるのは
それが現実に手に入れにくいものだから。

いわゆる「不倫」が悪徳のように言われるのは
自分が出来ないことをしてズルいという気持ちが奥底にあるのも確か。

少なくとも他人の行動を否定する前に自分が好きにすればいいだけのこと。
ただし「欲望」が「他者を見ること」から生まれるのだとすればそれも難しく。

人はそもそもややこしい。
かくして「さまざまな実験行動」が「ドラマ」を生むことになる次第。

「お気に入り」はそれぞれのままに。

各種の「成果」について感心していられれば幸い。
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