退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある種の不幸」について

2011-11-19 02:29:30 | Weblog
くもり。深夜にポツポツ降る。

仮に「正解」のある課題をクリアしなければならない立場に置かれたとしよう。

「原理」を理解してから対処するタイプと
理解は横に置いてとりあえずクリアすべき量をこなすタイプがある。

前者はある程度「応用」がきく。
なぜなら「原理」という「不動のルール」に従えばパターン認識ができるから。

その結果「量」そのものはさほどこなさなくても
いろんな場合に対応できる。

一方後者は前者がやったことを
あくまで量をこなすことで達成しようとする。

「原理」が見えないまま
新しい問題に出会うたびにさらにクリアしなければならない問題が増えることに。

前者は課題を「縮めている」のに対し
後者はむしろ課題を「広げている」ことになるわけで。

要は「ゴール」が見えやすい前者と見えにくい後者の違い。

「正解」のある問題を解くためには前者が有利になるのだけれど
どうしても後者のようにしか対処できない人々がいる。

彼ら彼女らは終わらせるべき量の多さにうんざりすることになり
「体力次第」で結果は変わる。

もちろん「正解のない」場合は
いずれの方法も採用するしかなくなるのだが。

興味深いのは後者のタイプが
どれほど疲れようともあくまで「自分の方法」にこだわること。

その方法によってある程度「成功」した過去をもつと
いっそうそれにすがりついてしまう「悪循環」がなせる業。

「ゴール」が見えないゆえの不安は高まり
かといって今までとは違う方法を採り入れることも出来ずに。

やがて「自明なこと」の「自明さ」までがいたずらに疑われもしてきて
彼ら彼女らは絶望の果てに「幽体離脱=魂を飛ばす」ことを身に付ける。

あなたの身近な人々の中にも
そのような性質を持っている人が少なくないはずなので確認していただきたい。

ちなみに彼ら彼女らの特徴は「常に疲れていること」。

個人的にはそうした人々のことを
「別の星から地球にやってきた人」だと言うことにしている。

とはいえ実はすでに「地球は乗っ取られている」。
とりわけ「郊外」と呼ばれる地域に住んでいることが多いことも覚えておこう。
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