退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「空気」によって繰り返されることについて

2011-03-30 03:00:23 | Weblog
晴れ。昼間はコートいらずのあたたかさ。

久方ぶりにソウルバーへ行く。
今宵は「黒ゴマ坦々うどん」のみ食べて早目の帰宅。

ときどきDJをやっていた青年は転勤になり
先週の土曜がラストプレイだった模様で少し残念。

中尾政之「失敗は予測できる」を読む。

アメリカには「Failure Analyst(失敗アナリスト)」という
著者のような事故分析を専門に仕事をしている人がいるとのこと。

「会社のために事故原因を隠蔽しようとする調査委員会」が少なくなくもないわが国を思うと
「経験の厚み」の違いを感じざるをえないけれど。

たとえば活断層の真上に原発を作ることの「バカバカしさ」は誰にでもわかるはず。
ところがそれが「平然と行われる」のはなぜか。

事故について真面目に考えれば
あらゆる危険性の指摘に対して真剣に取り組んでみるのが「当然」。

ところがその「当然」が行われないのはなぜか。
おそらくそれは戦時中と同様の「空気の支配」。

そうした「指摘」はまともに扱われず
何らかの「利益の維持」のために特定の集団が動くというのが「定石」。

それらを「工学的に防ぐこと」は可能なのだろうか。
少なくともその種の「立場」にいないことだけはできているとはいえ。

「失敗」が「悲劇」にならないと身にしみないのだとして
人が変わればそれでも「失敗」や「悲劇」は繰り返される、のか。
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