退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「幼さ」について

2013-11-28 02:54:12 | Weblog
晴れ。薄雲が広がり夜にはパラパラ。

稲葉陽二「ソーシャル・キャピタル入門」を読む。

「ソーシャル・キャピタル」とは「社会関係資本」のこと。
もう少し具体的には「信頼」「互酬性(お互い様)の規範」「ネットワーク」を指すらしい。

ある種の「危機」に際して
こうしたものがしっかりとあると対応や回復が早いとのこと。

著者の言いたいことはわかるけれど
少なくともわが国ではそれらが「解体」される方向で今も進んでいる。

もちろん一部の地域や人々の間ではうまくいっているのだろう。
それは「幸福な少数者」ではないかと思うのだが。

データ・マイニングその他の手法で消費はどんどん細分化されつつある。
「消費は人を孤独にする」なら人々はさらに孤独になるはずで。

そのあたりについてはいささか悲観的な見方しかできない。
若者たちの日本語解読能力も含めて。

身近にはすでに「現在の自分が嫌うもの」に対して異様に理解力が下がる「現実」がある。
あるいは「理解」そのものを「拒否」する態度も少なくなく。

個人を縛りがちな従来型の「絆」ではなく
いい意味で「その場限りのつながり」の方がむしろ好ましいような。

さて。

秘密保護法案が衆議院を通過した。

公文書をきちんとどう保存するのかも決まっていない中で他の重要法案と比べての「異様な拙速」よ。
わが国には戦争が終わる直前に「都合の悪い書類」を燃やしたという「歴史」もあり。

おそらくはアメリカからわが国による「機密情報漏洩」を突かれて
大慌てで用意したものなのではないかと思われる。

「頭の悪い子」が「ガキ大将」から不備を指摘され
訳もわからずに取り繕いをするのに似ているとでも言ったらいいのか。

「景気」に関する「ムード」だけでそこそこ支持されていた安倍内閣は
ひょっとしてそれが「命取り」になるかもしれないということもわからない模様。

「衆議院の優越」にまかせて法案を成立させればいいという目論見だとしたら
それは「大きなまちがい」になるだろう。

ただしこの「バカバカしさ」がヒットラー登場当時のドイツに似ていると思うと
それなりの恐怖感を覚えないでもない。

とりあえず「ハイパーインフレ下」ではないし敗戦直後でもないので
きちんと廃案に追い込むのが「筋」。

「普通の国」になるにはわれわれはまだあまりに幼く
いたずらに「普通のフリ」をするべきではないのを「自明」だとしておこう。

「理想」を掲げることは悪くないが実現に至るまでの道のりはまだまだ長く遠く。
その「事実」を真正面から受け止めるべし。
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