退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

2011GW1

2011-04-30 03:55:46 | Weblog
晴れ。少し曇る。

カント「純粋理性批判 4」読了。

解説を読んで少しだけ納得。
「分析的判断」と「総合的判断」という言い方がようやく腑に落ちる。

深夜「朝まで生テレビ」を観る。

「原発推進派」と「原発反対派」の「現状認識」が同じだという「事実」。
そんな「分別」に大した意味はないのだけれど。

敢えて言えば「推進派」の石川という人に
「あなたはなぜ原発を推進するのですか」と単純に聞いてもらいたかった。

飯田哲也にもう少し「納得させる力」があれば。
今後さらに「プレゼン力」を磨いていただきたい。

マル激での話の内容を思うと大きな違いが。
「スマート・グリッド」という単語さえ出ないのだから。

「復興会議」とやらが増税を一番に持ち出したのは
「リーダー不在」の政治に付け込んだ財務省官僚のせいだという高橋洋一の話はわかりやすかった。

それにしても。

わが国ではなぜ「ザ・ベスト&ブライテスト(一番賢い人々)」を用意できないのか。
どういうメンバーになるべきかを誰も知らないせいなのか。

事故発生から50日たっても
「現状」そのものを誰も知らないという「喜劇」。

たとえばこうした「政治」を代表として
わが国のあらゆる場所で「ごっこ」が横行している。

何もわかっていない人々が
いたずらに「責任逃れのアリバイ工作」をしているということ。

自分の「無能さ」を一番よく知っているのは当の本人なのだから
せめておとなしく暮らせよと思うものの。

その「無能さ」こそが「自分を際立たせたい欲求」を生むという仕組みの「どうしようもなさ」。

そうした「原理」については重々承知しているつもりでも
やはり「実例」を目にするとどうにも「排除」したくなる気持ちは抑えきれない。

たとえば「赤狩り時代」のアメリカ映画監督協会臨時総会に呼ばれた映画監督
ジョン・フォードのようには振る舞えないものか。

「さあ、家に帰って寝よう。明日は撮影があるのだから」

この台詞に倣ってわれわれは
「さあ、現場に帰って寝よう。明日は仕事があるのだから」と言うべきだろう。
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