退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「淡泊な会話と死あるいは女ぎらい」について

2016-10-24 02:32:39 | Weblog
くもりときどき晴れ。日が暮れるのが早い。

昨夜は2週間ぶりの老舗バー。

案外盛況でマスターとはゆっくり話せずDVDも借りず。
ニューボトルが冷えてなくていつもより酒が回り帰宅後爆睡。

県外から来たお客さんと少しだけ話す。
マーヴィン・ゲイが好きだという彼女はできればソウルバーをやりたいと言う。

「好みは北と南とどっちですか」「南です」
「クインビー」の名前も出さずそれだけ。

立花隆「死はこわくない」を読む。

「臨死体験」が結局は「脳内の夢」だと科学的にわかった模様。
「死後の世界を信じる人々」については「情念の問題」で「論理的な解決」は必要ないと。

ただし東大医学部付属病院の医師が江原啓之と対談して盛り上がるのには怒っている。
要は「科学者側からの追究としていい加減すぎるだろう」ということ。

「ケミカルマシンとしての脳の働き」があまり重要視されていなかったというのにふむふむ。
「単純化したモデル」を元に考えると「電気系=発火」に頼るのがいいのか。

それ以外には「夢をコントロールできる」という実験が興味深い。
その装置が「商品」になったらどうなるのだろう。

いずれにせよ「死の体験談」は不可能。
ならば「どうなるか楽しみ」というのみ。

サム・ペキンパー「戦争のはらわた」(’77)を観る。

よくもまあこれだけ数多くの爆破シーンを撮ったもの。
「独ソ戦」で負けがわかっているドイツ側の視点というのが珍しい。

唱歌「ちょうちょ」が冒頭とラストに。
「幼いハンス」というのが原曲。

増村保造「赤い天使」(’66)や大島渚「愛のコリーダ」(’76)では
「性」が「戦争と対立するもの」として描かれていたっけ。

看護してくれて仲良くなった女子をいとも簡単に振り切って戦場に戻る主人公は
「女子に『惑わされた』仲間」に対して否定的な行動をする。

とりわけ「局部を噛み切られた兵士」をソ連女性兵たちの「制裁」に任せるあたり
「男子同士の情」への「裏切り」は相当な「罪」だということになるようで。

とはいえ「男子同士の性的愛情」となると話は別らしく
上官に「秘密」を握られた部下は主人公の小隊を「破滅」させる裏切りをして。

その部下は射殺するものの上官にはそうせず敢えて「戦場=現場」に連れ出すのは
「自分なら耐えられない屈辱」を味わわせるためのもの。

どこか「ゲイ嫌いのゲイ」のような。
少なくとも主人公は「女が好き」ではない。
コメント
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