退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「広告の歴史とかつては十分にわからなかった傑作」について

2016-10-05 03:36:00 | Weblog
くもりときどき晴れ。夜は涼しい。

天野祐吉・島森路子「広告批評アーカイブ 広告20世紀」を見て読む。

1979年に創刊された雑誌「広告批評」は一時期相当な勢いがあったもの。
糸井重里がコピーライターという「職業のあり方」を変えたのも大きかったか。

仲畑貴志、川崎徹あるいは土屋耕一、
遡っては片岡敏郎の名前を知ったのもここから。

これ一冊で20世紀の主な広告を見渡すことが出来る上
それぞれの時代のクリエイターを知ることも出来るのがいいところ。

この「伝統」は細々と続いているのだと思いたい。
ただし最近の広告やCMの中にあまりインパクトのあるものは見出せないのが実情。

アルフレッド・ヒッチコック「三十九夜」(’35)を久方ぶりに観る。

ジョン・バカンの原作も遠い昔に読んだはずだがすでに記憶の彼方へ。
それはそれとしてやはり「見せる技術のうまさ」に感心することしきり。

「ミスター・メモリー」は形を変えて受け継がれてもいいと思う。
もちろん上手に「換骨奪胎」できればの話だけれど。

銃を持った手による突然の銃声、しつこく鳴り続ける電話の音なども。
「逃走」のための「基本的技術」も家からと電車からの2パターンが示される。

主人公を助ける田舎の農家の嫁は夫と年齢も心も離れていて
彼女の「都会」に戻りたい気持ちも描かれていたり。

何より彼を逃がす時に夫について「乱暴はしないわ」と言った彼女はその後打たれる。
また彼に着せた「夫の一張羅」の結果もお見事。

「手錠のままの脱獄」(’58)の発想の基本がすでにここにある。
ふたりを「わけありのカップル」だと誤解する宿屋のおばさんの「粋なはからい」も。

電車で相席したセールスマンがブラジャーとコルセットを取り出したり
濡れたストッキングを手錠をはめたまま脱がせたりする「お色気」もたっぷり。

それぞれの劇場のシーンも楽しく。
英国風ユーモアの渋みを味わえるし。

あらためて観たら「文句なしの傑作」だったという次第。
それらをようやく味わえるようになったことが少しだけうれしい。
コメント
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