退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「母と娘あるいは悪女」について

2016-06-07 04:03:49 | Weblog
晴れ。だったはず。

斉藤環×田房永子・角田光代・萩尾望都・信田さよ子・水無田気流
「母と娘はなぜこじれるのか」を読む。

女子にある「身体感覚」が男子にはないというのにふむふむ。
「初潮」を初めとする「生理」に多大な影響を受ける者とそうでない者。

おかしいと思いつつ「母の呪縛」はどこか「罪悪感」につながる模様。
結局は「適当な距離感」をどう確保するのかというあたりに落ち着きそう。

「生物学上のつながり」が必ずしも好ましいものでないこと。
「家族」でない関係を維持するのも重要かも。

鹿島茂「悪女入門 ファム・ファタル恋愛論」を読む。

仏文学者による小説の中の悪女の紹介。
「ファム・ファタル」のラルース大辞典の説明がなかなか。

「恋心を感じた男を破滅させるために、運命が送りとどけてきたかのような魅力をもつ女」。
実はある種の男子の「破滅願望」をかなえてくれるタイプといった方が適切かも。

「マノン・レスコー」「カルメン」「フレデリックとベルヌレット」「従妹ベット」「椿姫」
「サランボー」「彼方」「ナナ」「スワンの恋」「ナジャ」「マダム・エドワルダ」。

作家で言えばアベ・プレヴォー、メリメ、ミュッセ、バルザック、小デュマ、
フロベール、ユイスマンス、ゾラ、プルースト、ブルトン、そしてバタイユ。

「妻」は「サロン」で遊び「夫」は「裏社交界」で「愛人」と遊ぶのが「普通」だったフランスよ。
「純潔」が「ルール」だった「過去の歴史の反動」のせいか。

「恋愛」が「病気」であることがよくわかる内容。
要は「ロマンチックになれるかどうか」と言ってもいい。

女子が本気で欲望を解放するとたいていの男子は萎えるはず。
いっそそうなってしまうのも面白いだろうと思いつつ。

「誰も自分を愛しているだけの悲しいゲームさ」と歌ったのは南佳孝「スローなブギにしてくれ」。
「自分にとっての快楽」を一番知っているのは自分でしかない。

哲学者カントの「他者を手段としてのみならず、目的としてとらえよ」という言葉を思い出す。
圧倒的に「正しい」その言葉が実現されることは少なく。

言うは易し行うは難し。
もう少しゴソゴソして寝る。
コメント
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