退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「自然の猛威と器の小ささ」について

2013-09-17 03:43:54 | Weblog
くもりのち晴れ。夜風が少し冷たいほど。

それにしてもこのところの台風や大雨、竜巻の威力の大きさ。
一夜にして命や家を失う人々が増える恐ろしさよ。

いずれ予知できたとしても
襲われた土地から逃げるわけにもいかないのが難点。

自然が「一寸先は闇」を教えようというのか。
それもひとりひとりの身にしみるまで。

吉田則昭「緒方武虎とCIA」を読む。

気宇壮大な青年期を過ごした男は朝日新聞に入り出世
戦時中は情報局総裁、戦後公職追放を受けやがて保守政治家として活躍する。

親しい者の書いた伝記がその人物のイメージを決定的にすることがあり
新たな資料によってそれがいくぶん違ったものにもなったりもする模様。

著者はあまり「解釈」をせず
あくまで「資料」を紹介するに留まっているのが素人には面白くないところもある。

それにしてもわが国の歴史は「古代」以来
自国の資料でなく外国の資料によって知ることが少なくないというのが「ルール」なのか。

たとえば年月を経さえすれば資料を「公開」する制度を持つアメリカと
その時の「失敗」を「隠蔽」するために資料を消すわが国の違いたるや。

別にことさらアメリカを持ち上げるわけではなく
「歴史」や「民主主義」に対するわが国の「意識の薄さ」を思うのみ。

「結果」を「後世」に委ねるのではなく
その時その時の個人あるいは組織の都合でないことにしてしまうのだから。

もちろんそれは「失敗」を隠すためで
そのあたりはもう少し「堂々と」できないものかと思うのだが。

われわれも含めて「器の小ささ」をもっと自覚した方がよさそう。
「よく吠える犬」にはなりたくないもの。
コメント
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