退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「流浪」について

2012-05-11 04:23:54 | Weblog
ようやく「通常ペース」になったきたのでyutube。

ずいぶん前にも採り上げたのだけれど中島みゆき「流浪の詩」。
(音が悪いこれしかないの)

この曲を年嵩のアメリカ人が聴いたら
ちょいと踊り出す雰囲気になるのではないか。

ブルーグラスと言うにはやや「和風」だけれど
いかにも「西部」な雰囲気は出ているはず。

有無を言わさない「環境」はある種の「倫理」を生む。
それぞれの「ルール」がぶつかる場所があることは好ましく。

中島みゆきに「西部」を感じるのは
おそらくは「北海道」という土地柄のせいだと思う。

「アメリカ西部」と「北海道」のどこに共通点があるのかといえば「ルール無用」と「厳しい自然」。
どうしようもない「現実」に向き合わされる「世界」では「陽気さ」が際立つことになる。

このあっさりした感じは好ましい。
もちろん「裏打ち」あっての「乾燥」だけれど。

おそらくは世界各地で「生きること」が辛くなってきているはず。
そうでないとすればそれは限られた「ドームの中」だけのことで。

場所を問わず誰もがのんびり暮らせる場所。
それがないならせめて「歌の世界」で。

「流浪」するのはどこにあるともしれない「場所」を目指してのこと。
それを「約束の土地」と言ってしまえば特定の人々の「理想」に限られてしまい。

人がいわゆる「現実」のみに生きるものでないことはどうやら「明白」だとするなら
そうした「場所」はどこにあってもいいだろう。

「ご縁におまかせ」するのは
その種の「広い射程」を意識していることをお忘れなく。

がしかし。

ネットが流通し始めた当時のように
「自動的に開かれている」のは一方で「事実」であり他方ではそうでもない。

だからこそ人は流れる。
けれど人はどこかに止まることもある。
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「愚行」について

2012-05-11 02:22:41 | Weblog
晴れ。やや風強し。

エマニュエル・トッド「自由貿易は、民主主義を滅ぼす」を読む。

「鎖国」でも「排外主義」でもない「保護貿易」を
行き過ぎた「自由貿易」を盲信する前に再考すべきだということらしい。

内需拡大こそがむしろそれぞれの国の「利益」になるというのは「理屈」としてはわかるものの
それが「経済学的」にどれほど信憑性があるのかは不明。

「野蛮人」であるサルコジがフランス大統領選で敗れたのは
著者にとってはうれしいことだろう。

当選したオランドはどうやら「いい人」のようなので
わが国の総理大臣と大差ないことしかできないのではないかという予感も濃厚だけれど。

とはいえかの国が「少子化対策」に成功した実績のあることは間違いなく
いまだに「婚外子差別」があるこちらの現状を思えばあれこれ言えた義理ではない。

「グローバル化」した分野の「経済競争」に参加するなら
資本移動が可能な企業以外は「人件費」の面でいずれ「負ける」のは確実。

生産性が高まれば利益率が下降する「法則」を理解する以上
「誰にもできない技術あるいは付加価値」を生かす分野で勝負するしかないのは必定。

ただし企業の「内部留保」が高まれば高まるほど
そこに所属する者のみに「利益」が行き渡ることになり。

たとえば「百年」という単位で振り返れば
アメリカも日本もそろそろ「寿命」。

いたずらに「幻想」を振りまくことなくゆっくりと「下降」すればいい。
その点ヨーロッパはすでに「没落」を知っているのが「有利」か。

おそらくは数年後にようやく「原発災害」の「実態」がわかるはずのわが国は
どう考えても「上昇」すべくもなく。

チェルノブイリを経たウクライナでは
いまだに「汚染された食物」を食べるよりない「現実」があったりする。

「愚行権=承知の上でバカをすること」があるのは了解するとして
敢えて「まともな人材」を育てるしかないということを指摘しておく。
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