退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

ささやかな愛の不足は過剰なものを生むということ

2010-06-09 01:18:03 | Weblog
くもり。蒸し暑い。

昨夜はPCが突然ネットにつながらなくなった。
深夜に遊べず本を読みながら寝てしまう。

中島哲也「告白」を駅前のミッドランド・スクエア・シネマで観る。
実に久方ぶりの映画館。

郊外にあるシネマ・コンプレックスそのままの造り。
10分前にしか客を入れないのが「仕事」を減らすのだろう。

松たか子の「慟哭」の芝居に工夫あり。
犯人たちだけでなく「普通の」クラスメートたちも問題だという解釈で。

描かれる分量が圧倒的に多いのが「母」のダメさ。
この「父の不在」はどうしたことだろう。

登場人物たちが「鏡」に映されることが少なくないのも忘れずに。
「少年法」という単語もやたらに出てくる。

女子が「事情」をわかっていて
男子は「ひとり芝居」をしている設定。

感情の交通の「貧しさ」は圧倒的だけれど
ここには経済的な「貧しさ」がない。

種類の異なる「貧しさ」は
いずれも「資本制」の行き過ぎた結果だと思えば交わるのか。

いわゆる「熱血」のダメさ加減も
ふたりの男子を使ってしっかり描かれているけれど。

この「救いようのなさ」を知れば
人は「やさしく」なれるのだろうか。
コメント
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