プロレス団体は現在、何団体あるかはっきりしないくらい乱立しています。
かつて私が中学生の頃は主に3団体でした。
G馬場の全日本、A猪木の新日本、そしてR木村の国際。
その中でも国際プロレスはマイナーで、
テレビ中継も変遷がありながら最後は東京12チャンネル(現・テレビ東京)でした。
その12チャンネルが放送から撤退し、国際プロレスは崩壊します。
国際プロレスのラスト興行(1981年8月9日)が行われたのが、羅臼。
それからの後日談をあるプロレス関係のイベントで聞きました。
突然羅臼で所属団体が崩壊した。
何とか羅臼から東京まで帰らなければいけないが、お金がない。
それでそうしたかというと、東京までの帰り道にゲリラ的に興行を打って資金を稼ぎ、
何とか自力で帰り着いたというもの。
道内でも数試合ほど行ったという。
その中のひとつに手稲での試合も行われた。
これはその試合を観戦したという方が「見た」と証言しているのでほぼ間違いない。
何も後ろ盾がない状態での自主興行、
かなりしょぼい状態での試合だったことが推測されます。
それがまた、国際プロレスらしいとも言えるでしょうが。
ちなみに国際プロレスは私の故郷・滝上でも試合を行っています。
そのときの事を書いたブログはコチラ → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/65d1abdfa5a6b49dc6189e7669622dd5
国際プロレス崩壊4年前のことでした。
かつて私が中学生の頃は主に3団体でした。
G馬場の全日本、A猪木の新日本、そしてR木村の国際。
その中でも国際プロレスはマイナーで、
テレビ中継も変遷がありながら最後は東京12チャンネル(現・テレビ東京)でした。
その12チャンネルが放送から撤退し、国際プロレスは崩壊します。
国際プロレスのラスト興行(1981年8月9日)が行われたのが、羅臼。
それからの後日談をあるプロレス関係のイベントで聞きました。
突然羅臼で所属団体が崩壊した。
何とか羅臼から東京まで帰らなければいけないが、お金がない。
それでそうしたかというと、東京までの帰り道にゲリラ的に興行を打って資金を稼ぎ、
何とか自力で帰り着いたというもの。
道内でも数試合ほど行ったという。
その中のひとつに手稲での試合も行われた。
これはその試合を観戦したという方が「見た」と証言しているのでほぼ間違いない。
何も後ろ盾がない状態での自主興行、
かなりしょぼい状態での試合だったことが推測されます。
それがまた、国際プロレスらしいとも言えるでしょうが。
ちなみに国際プロレスは私の故郷・滝上でも試合を行っています。
そのときの事を書いたブログはコチラ → http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/65d1abdfa5a6b49dc6189e7669622dd5
国際プロレス崩壊4年前のことでした。