フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月30日(土) 晴れ

2023-12-31 14:11:37 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログは後回しにして、大掃除の続き。一階の和室(2)、ダイニング・キッチン、廊下を電気掃除機と雑巾がけ。これで私の担当分は終了(のはず)。

お腹の調子がいまひとつなので、昼食は外に食べ出ずに、にゅう麺。

昨日のブログを書きながら、書斎のTVでバドミントン全日本総合の男女シングルスの決勝戦を観る。女子は奥原希望(28)が右足の不調で第三セット(ファイナルセット)を棄権して、20歳の杉山薫が初優勝した。奥原が涙を流しながらプレーしていた姿が印象的だった。

男子は桃田賢人(29)が連覇(通算6度目の優勝)を果たした。背中を痛めていて強いスマッシュが打てなかったようで、長いラリーで勝負する展開にもっていき、24歳の渡辺航貴のミスを誘った。なお、世界ランニング2位で優勝候補の奈良岡功大は体調不良で準決勝(対桃田)を棄権した。一番注目されていた試合だったただけに残念である。

正月用の仏花の買いに「紅葉花園」に行く。

いつもとちがう正月用の花がいっぱい。

「紅葉花園」は明日で店仕舞。長い間(55年間)お疲れさまでした。

どうぞよいお年を。

少し遠回りして帰る。

チャイがお世話になっている「マリア動物病院」は「紅葉花園」と同じ通りにある。

蒲田駅に向かう女塚通り商店街に出る。

よく昼食を食べにくる蕎麦屋「吉岡家」。丼物も充実しており、こういう蕎麦屋が近所のあるのはありがたい。

私がお世話なっている「大谷歯科医院」。いずれ入れ歯のお世話になる日がくるだろうが、いまのところ全部自分の歯である。定期健診の頻度は散髪と同じくらい。次回は2月である。

「まいばすけっと」。私がここで買うのは、ストロベリーチョコレート(明治)、柿の種(亀田)、仏花(小さい花瓶用)である。それ以外のものはめったに買わない。

「セブンイレブン」。コピー機(写真プリント)を使うために来ることが多いが、パン(ロールパンとか胡桃パンとか)もたまに買いに来る。それからシーズンごとのTVガイド的な雑誌もここで購入する。

「清水電機」。頼りになる町の電機屋さんで、ちょこちょこ大小の製品を買っている。最近では、風呂場に暖房機(乾燥機)を入れた。ちょうど親爺さんが店先にいらしたので写真に納まっていただく(店の横では息子さんが片付けをしていた)。親爺さんは84歳である。もうさすがに高い場所に上っての作業などはしないそうである。去年だったか、脚立から足を滑らせて頭を打って、「息子に叱られた」そうである。どうぞご安全に。

女塚通り商店街はここまで。商店街というのは町を葉っぱにたとえれば、葉脈のようなもので、そこに点在する商店は町と住人のインターフェースである。商店を通して、住人は町と付き合っているのである。

上空の空気が不安定になっているようである。今夜から明日にかけて雨が降るらしい。

仏壇の花を替える。松が入って正月仕様である。いつものようにちょっとおまけの花を入れてくれた。

前の花はゴミ箱に捨てるにはまだもったいないので、ナツの墓に供える。亡くなった母はナツをずいぶんとかわいがっていた。

午後、NHKではずっと『ドキュメント72時間』の今年のリクエストの多かった回を流している。第1位は「北海道 冬のコンビニで」(3月10日放送)。私は『72時間』はたいてい土曜日の午前中にやる再放送を朝食を食べながら観ているのだが、この回は見逃していた。

初山別(しょさんべつ)という日本海に面した村の一軒しかないコンビニ(うちの近所のコンビニより広くて商品もそろっている)が舞台。そこを訪れる客はほぼ全員が顔見知りという。「ここにくれば誰かに会える」と言っていた人がいた。砂漠のオアシスのような、いや、雪原の銭湯のような場所である。

私が観た回の中では、第3位の「大阪 昭和から続くアパートで」がよかった。「穂高荘」という名前のアパートだったかな。

夕食はすき焼き。12月30日の夕食は我が家ではすき焼きと決まっている(数少ない家長権限)。名古屋から今日、息子が帰省したのだが、夕食は友人と外で食べるというので、妻は「すき焼きは明日の夕食にしようか」と提案したが、大晦日の夕食は蕎麦(+天ぷら)と決まっている(これは個別の家庭の家長権限を越えた社会規範)。息子には明日の朝食にもですき焼きの残りを食べさせればよい。

妻が買ってきた牛肉は肉そのものは悪くないが、薄い。これはしゃぶしゃぶ用ではないかと問うと。「すき焼き/しゃぶしゃぶ用」と書いてあっという。兼用ということは薄切りということである。薄いので枚数的にはたくさん食べたような気になるが、300グラムくらいかな。

食事をしながら『アメトーク』年末スペシャルのさんまが出演するコーナーを観る。68歳になっても若手お笑い芸人とからめるトーク力(反射神経)が凄い。しかし、考えようによっては、69歳で大学生相手に話せるトーク力というのも大したものであろう(笑)。金継して使っているごはん茶碗みたいなものであるが。

書斎に引っ込んで、キンドル・スクライブで読書。東海林さだお「あれも食いたいこれも食いたい」シリーズの傑作選『大盛り!さだおの丸かじり』(文春文庫)。本物の文庫版は活字が小さくて読めないが、キンドル・スクライブを使ってなら問題なく読める。

「カキフライはじまる」を読む。

 まだ出始めのせいか、小ぶりのカキフライが六個、皿の上に小さな俵のようにころがっている。
 懐かしいなあ、カキフライ。
 しばらくお目にかからなかったなあ、カキフライ。
 皿の上のタルタルソースをよくまぶして、まず一個。
 うん、コロモがさくさくして、突然、ぷっくりしたカキの感触になって、うん、そう、このほのかなミルクっぽい海の甘みと、それからかすかな苦みは、ホラ、あれだ、はらわたのちょっと黒いとこ。それからまた、とろりとした甘みをふくんだ貝の味になって、最後にカキ独特の渋みになりかかったところに、タルタルソースのマヨネーズっぽい味が参入してきて、うん、このような大団円になる。
 (カキの味というのは、実はカキのはらわたの味なのだなあ。)

カキフライ好きにはたまらない描写である。しかし、たんにカキフライの旨さを書くだけなら東海林さだおでなくてもできる。東海林さだおの持ち味はそれとは別のところにある。

 と、久しぶりのカキの味を堪能していて、急にハッと気がついて愕然となった。
 残りのカキフライが五個しかない。
 しかも小ぶりの奴が五個だ。
 もともとカキフライ定食というものは、おかずが不足しがちなものなのだ。
 カキフライは、ごはんのおかずとしては力不足なところがある。
 トンカツ定食のトンカツは、ごはんのおかずとしては、あれでなかなか実力がある。
 はがしたコロモだけで、一口分のごはんをまかなうことができるが、カキフライのころもははがすことができない。
 無理にはがせばはがれるが、皿の上はかなりの惨状を呈することになる。
 それから急にあわてて、タルタルソース、トンカツソース、ケチャップソース、とソース陣を総動員し、カキフライが見えないくらいにまぶして、ようやく難を避けることができる。
 カキフライ定食を食べるときは、いつもこのことで悩んでばかりいる。
 カキフライには、十分過ぎるほどのソースをビタビタかけないとおかずが足りなくなるし、あんまりビタビタにすると、お店の人に悪いような気がするし、周囲の客の視線も気になる。
 だからぼくはいつも、周囲のスキを窺ってソースをかけ、またスキを窺ってはかける、という方法をとっているが、この方法だとなかなか気が疲れる。

 私は以前「頼もしや五つ並んだ牡蠣フライ」という句を詠んだことがある。このときは旬の大ぶりなカキフライだったので、一つ食べても「まだ四つある」と余裕で思うことができた。これが最初から四つであったら一つ食べたとたんに三つになり、「愕然」は大袈裟だが、心細いような気分になるだろう。東海林さだおはこうしたカキフライ好きの心理を的確に描写している。そしてカキフライにとんかつソースをたっぷりかけて食べるとき、「お店の人に悪いような気がするし、周囲の客の視線も気になる」と述べる下りは、社会学者のフィールドワークを読んでいるようである。

「東海林さだおの文章は社会学入門としておススメ、というのはそういことですね」

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。