フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月21日(木) 晴れ

2007-06-22 03:05:17 | Weblog
  2限の授業(社会学演習ⅠB)終了後、幹事が合宿の費用を徴収したのだが、ほぼ全員が1万円をすんなりと納入したことに、私は驚きを禁じえなかった。「ごめん。いま、お金がなくて・・・」という学生がそれなりの人数いるだろうと思っていたからだ。なんだかなんだ言っても「豊かな社会」なのだ。
  昼食は「秀永」で、レバーとニンニクの芽の炒め定食。一昨日の夜に来たとき、相席になった客が食べているのを見て、美味しそうだったので、今日、初めて注文してみたのだが、期待通りの美味しさだった。頭の中の「お気に入りメニュー」に登録決定である。それにしても最近「秀永」の頻度が高い(たぶん明日の夜も来るであろう)。
  敬文堂で沢木耕太郎『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』(幻冬舎)を購入。『世界は「使われなかった人生」であふれている』に続く二冊目の映画エッセイである。いわゆる映画評とは違う。映画(新作)を紹介しながら、それに触発されて書かれたエッセイである。以前、沢木と淀川長治が対談をしたとき、あの心底映画好きの淀川が沢木の映画エッセイを、「大概ならペダンティックに書いたり、オレは知ってるぞというように書くのに、あなたは非常に清潔にお書きになる」と褒めていた。「清潔に」というのはまさに言いえて妙である。
  4限の時間は二文のHさんとKさんの卒論指導。5限の時間は居眠り&読書。研究室のリクラインングチェアで居眠りをすると、目が覚めたとき、一瞬、ここがどこだかわからなくなる。
  6時半から第一会議室で開かれた金政玉氏(障害者インターナショナル日本会議事務局次長)の講演会「どうする、障害者権利条約-国内批准に向けての展望と課題」に出席する。障害者権利条約は昨年12月の国連総会で正式に条約として採択されたばかりで、20カ国が批准した時点で国際条約として発効することになる。日本がこれを批准するのは(そのための態勢が整うのは)2、3年先であろうと見られている。障害者差別に限らず、一般に差別には、「直接差別」と「間接差別」がある。女性差別を例にすれば、「女性は管理職には就かせない」は「直接差別」であり、「単身赴任ができない者は管理職に就かせない」は間接差別である。障害者差別条約の特徴は、従来からあるこの二つの差別に加えて、「合理的配慮の否定」という形をとる差別を加えたことにある。障害というのはある程度まで環境の関数である。たとえば車椅子を使用している人にとっては、階段とスロープとエスカレーターでは1階から2階に移動するときの困難さがまるで違ってくる。それがわかっていて、階段しかない状態を放置しているとすれば、それは「合理的配慮の否定」という形の差別になる。「合理的配慮の否定」という概念の導入は、差別する側に意識の変革を求めるものであるだけでなく、差別される側にも意識の変革を求めるものであるだろう。つまり「私は障害者です」という自己呈示、そして「障害者である私に対して合理的な配慮を求めます」というアピールを格別の気負いなしに行えるようになること。アクションを起こさなければ物事は先へ進まない。