団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

緩い坂道を上り始めると、ふと夫が振り返り「手をつなごうか?」と私を見る。

2024-04-25 02:03:28 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「手をつなごう」というタイトルで、74歳の女性が投稿されていました。

 近くに住む娘家族と、山へのハイキングに出かけた。

 沢の音に耳を傾け、みずみずしい芽吹きのモミジに見とれる。

 竹林からタケノコも顔を出している。

 緩い坂道を上り始めると、ふと夫が振り返り「手をつなごうか?」と私を見る。

 結婚して50年、武骨な夫にして初めてのことに戸惑う。

 どうした心境の変化! 首を傾げて怪訝(けげん)そうにしていると、夫が言った。

 前を歩いている若い2人が手をつないでいるのを見て感化されたとか。

 夫は、自分の手を出して「どうすればいいのかな?」と照れた様子。

 それならと、私もおずおずと手を差し出す。

 お互いに指をがっちり組むと、力が入りぎこちない。

 なかなかしっくりしない。

 もたもたしていると、後ろから来た高校1年の孫娘が、見かねて「おじいちゃん! こうだよ」と、笑いながら細く白い指先を、夫のごつごつ指に絡ませた。

 2人は、そのまま足取りも軽く歩き出した。

 孫娘は、心地良い風に長い髪をなびかせて。

 女子高校生と手をつなぐなんて、山でのハイキングの解放感のおかげか! 上機嫌な夫の後ろ姿を見送った。

 以上です。

 結婚されて50年、初めて手をつなごうとすると上手く行かないものですかね。

 ご主人はかわいいお孫さんに手をつないでもらって嬉しかったでしょうね。

 奥様と手をつなごうとしてモタモタしていたのが、幸いしたようです。

 私もかみさんと付き合っていた頃はいつも手をつないで歩いていましたが、結婚後はあまり手を繋いだ覚えがないです。

 最近は歩いていてバランスを崩して倒れそうになった時は、かみさんが手を差し伸べて歩いてくれますが。苦笑



初恋によろしく/西郷輝彦
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小学校できっちり英語をやって中学高校ではいくつかの科目を「英語で」勉強するようにしなければ。

2024-04-24 01:39:30 | 日記


 清原達郎さんの「わが投資術」を読みました。

 気になるところをピックアップしてみます。

 作者はファンドマネージャーです。

 もし清原さんのファンドに100万円預けたら、なんと25年後に9300万円になったそうです。

 清原さんのファンドは、25年間で終了されました。

 私も清原さんのファンドを知っていれば、投資したかも。

 もうひとつ、清原さんは日本人の英語下手を嘆いていらっしゃいます。

 ここからは私のボヤキですが、海外でビジネスをやっていかなければいけないのに、日本人はここまで英語が下手でどうするの?

 私の感覚だと英語がちゃんとできるかどうかで年収は10倍ぐらい違います。

 えーーーって思われるでしょうねえ。

 こんなことを言うと。

 もちろんサラリーマンの場合は給料の差は2倍にもならないでしょう。

 でも、ものにできるチャンスの差がとても大きいのですよ。

 人生の選択肢の広がりが全然違ってくるってことです。

 私の場合だと、英語ができなければヘッジファンドとの出会いはなかったわけだから、プランBで個人投資家として株をやってせいぜい数億円の儲けです。

 ソフトバンクの孫正義氏が英語ができなかったらあそこまで成功されたのですかねえ?

 一部省略

 小さい頃から英語をやらないと無理ですよ(もちろん日本人全員が英語の勉強をする必要はないと思いますが)。

 小学校できっちり英語をやって中学高校ではいくつかの科目を「英語で」勉強するようにしなければ。

 世界史とか日本語で学ぶ意味などないでしょう。

 「高校以降はもう英語の勉強はなし。あるのは英語での勉強だけ」ぐらいの感覚にならないといけないと思います。

 いつまでもだらだら英語の勉強をするのは時間の無駄です。

 何かをやろうと思えば何かを削らないといけないと思うのですが、私はくだらない国語の授業を削るのが一番だと思います。

 国語の授業で出てくる日本語の文章がへた過ぎるし、試験には意味不明な文章が出てくるし、私にとってはいい思い出がまったくありません。

 「それ」が何を示すのか次の4つから選べ、なんて試験には出てきますが「『それ』が何を示すのかわかりにくい文章なんか書くなよ!」って思いませんか?

 最悪なのが小林秀雄とかいう評論家の文章でした。

 何が言いたいのかまったく不明。

 日本の国語の授業は「非倫理的な思考」の訓練の場みたいなものですね。

 以上です。

 私の尊敬する小林秀雄さんの文章をけなされていますが、確かに分かりにくいです。苦笑

 だいたい試験に出すのが間違っています、小林秀雄さんの文章はじっくり読むものですから。 短時間の試験でわかる筈がないです。予備校などではあらかじめ正解を教えているのでは?

 小林秀雄さんの文章なんて、試験に出すのが間違っていると思います。

 それにしても清原さんの英語での私見には、大いに刺激を受けました。

 「小学校できっちり英語をやって中学高校ではいくつかの科目を「英語で」勉強するようにしなければ。」これを実行出来れば、日本人の英語下手も直るかもしれないと思いました。

 英語の文法なんて、英語を話すのに役立たない授業が多すぎます。
 英語の文法なんて恐らく英語の研究者でも役に立たないのでは。

 私の高校の文法の先生は、とても英語とは思えない発音で授業をされていました。
 私も無駄な時間を費やしました。苦笑


③【公式】中森明菜/セカンド・ラブ (イースト・ライヴ インデックス23 Live atよみうりランドEAST, 1989.4.29 & 30) AKINA NAKAMORI/Second Love
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何を思ったのか、かみさんが「結婚50年になるけど、45年位に別れれば良かった」と言いました。

2024-04-23 00:40:14 | 日記
 昨日の朝 床屋へ行ってきました。

 床屋から帰って来て、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいました。

 何を思ったのか、かみさんが「結婚50年になるけど、45年位に別れれば良かった」と言いました。

 私が「ひとりでは食っていけないから、別れないじゃないの」と言いました。

 「そうよ、お金の心配があるから別れないだけ」と、かみさんが言いました。

 「早くお父さん(私の事)に施設に行ってもらい、私は安い物を食べてでもいいからひとりでいたい」と言いました。

 私はまだ要介護3以上になっていないので、ショート・ステイしか無理だと思います。

 要介護3になったら特養にでも入る事にしようか、でもなかなか空きがでないだろうな。



さよならをするために ~Acoustic version~ Sayonarawosurutameni Billy BanBan
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リコーの世界一薄い自動巻き時計が欲しくて、高校生になったお祝いにこの腕時計をもらいました。

2024-04-22 01:40:58 | 日記
 中日新聞の「おじさん図鑑」に「高校一年生」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 もう半世紀も前、おじさんが高校生になったとき、お祝いに父親からセイコーの腕時計をもらった。

 叔母からは万年筆だった。

 他に革のカバンも買ってもらった。

 一挙に大人になった気分の高校一年生は、晴れがましさと恥ずかしさで頬を赤らめて、4月、新しい学校に通い始めたのだった。

 腕時計は、時間の全てを己のものとして管理できることを意味し、万年筆は、消しゴムでは消えない勉学督励の象徴として胸ポケットに差してあった。

 終戦から20年ほどを経た、高度経済成長時代を迎える前の、まだまだ世の中全般が貧しい頃だった。

 腕時計と万年筆はおじさんにとって宝物だった。

 殊に腕時計は、父親が早世したこともあって大学生になっても大切に愛用していた。

 が、うっかりしていて紛失してしまった。

 亡父への申し訳なさで、いまだに悔やんでいる。

 今、ピカピカの高校一年生たちは、何をお祝いにもらうのだろう。

 腕時計などは小学生の頃から持っているだろうし、万年筆はあまり使われなくなった。

 モノはあふれ、貴重品といえばスマホかゲーム機か。

 時代は流れ、新高校一年生の大事なものも完全に様変わりした。

 以上です。


 私もおじさんと同じで、リコーの世界一薄い自動巻き時計が欲しくて、高校生になったお祝いに父親からこの腕時計を買ってもらいました。

 大学に入ったばかりの時、体育の授業が終わり水飲み場で水を飲み顔を洗った時、腕時計を外しました。

 腕時計を外した事を忘れ、教室に戻ろうとしました。

 5分ぐらい歩いた時、時計を忘れた事に気付き、水飲み場に戻りました。が、すでに時計は無くなっていました。

 誰かに盗まれました。

 もう出て来ないだろうと思い、学校の事務局には連絡しませんでした。

 時計がないと困るので質屋さんで安い中古の腕時計を買いました。

 ネットで父親から買ってもらった世界で一番薄い腕時計を検索しました。



 検索結果、下記のような事が書かれていました。

 1960年当時、世界で最も薄い腕時計(3.5mm厚)として発売された「タカノシャトー」。
 リコーエレメックスの前身である高野精密工業の「タカノ」の名を冠した腕時計はわずか5年程度の発売期間だったため、愛好家の間では幻の時計として知られています。

 今や幻の時計と言われているそうです。

 盗まれて、残念!


『まだ見ぬ君を恋うる唄:舟木一夫さん』真・心に残る歌の記憶チャンネル
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えらい奴が、立派なことを言うときは、気をつけた方がいい

2024-04-21 00:19:24 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」に下記の事が載っていました。

 中日春秋
 2024年4月18日 

 夫と同じく息子には一流大学から一流企業に入ってほしいと願う母親がいた。

 会社社長で金と女性にしか興味がないが、いずれ選挙に出る野心を胸にPTA会長をやる父親がいた。

 子どもは大人の言うことを聞いて当然と語る教頭や、体罰を辞さぬ教師もいた。

 管理教育の学校や親に反旗を翻し、中学生たちが廃工場に立てこもる宗田理(そうだおさむ)さんの小説『ぼくらの七日間戦争』で描かれた「敵役」の一部である。

 1985年の刊行で作中の親は学生運動をした世代。

 体制打倒を叫んだのに子には従順さを求めるのかと、その世代を挑発してやろうと書いたら、子の側に受けたという。

 宗田さんが亡くなった。子どもたちが知恵を絞って大人を懲らしめる「ぼくら」シリーズは先の作品以降約50作に上り、発行部数は累計2千万部超。

 プールに悪い大人と寒天を入れ「人間羊羹(ようかん)」にするなど、描く闘いは楽しげだった。

 17歳で終戦を迎えると「国のために死ね」と言っていた大人たちが「夢を持て」などと態度を変えた。

 大人の言いなりになるなと訴える創作の原点という。

 『ぼくらの七日間戦争』では、廃工場に偶然いた老人が立てこもる中学生を助ける。

 元兵士で理不尽な命に従った時代を語り、時計の針を戻すなと、こう諭す。

 「えらい奴が、立派なことを言うときは、気をつけた方がいい」。楽しく、深い話だから子どもに読まれた。

 以上です。

 私はテレビで映画を見る前に「ぼくらの七日間戦争」を読んだ記憶があります。

 でも、小説も映画も、内容はまるで覚えていませんでした。

 私が大学生の時、学生運動が始まりました。

 私はノンポリでしたので、学生運動には参加しませんでした。

 新宿西口駅辺りで、多くの学生が集まっていました。

 学生が機動隊に追いかけられて、警棒で殴られていたのを見た事もあります。

 ノンポリでしたが、就職してからは体制側になってしまいました。

 まさか自分が一番嫌っていた古い価値観を持つとは思いもしませんでした。

  子どもには出来れば、大きな会社に入って安定した生活をして欲しいと願いました。

 若い頃、保守的な考えをあれほど嫌っていたのに・・・・・。



 
『いちご白書』をもう一度/松任谷由実


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