気ままに

大船での気ままな生活日誌

大雄山参道二十八星宿灯 制覇

2012-06-01 17:27:49 | Weblog
”制覇”好きなぼくは(汗)、昨日は南足柄の大雄山最乗寺に出掛けた。何の制覇かというと、こうだ。3キロ余りの長い参道に、二十八の、江戸時代の星座の名前をつけた灯篭が入り口の1丁目から境内奥の二十八丁目まで並んでいるのだが、それらをひとつ残らず捜しだし、カメラに写すということです(大汗)。

今年のはじめ、平塚市博物館で”星々のみちびき/大雄山参道二十八星宿灯”という企画展が開かれていて、とても興味深く観させてもらった。星宿灯の存在それ自体が面白いし、それらを建てた講のひとつが、足柄から遠く離れた浅草の新吉原講であることにも驚いた。展覧会では、これらの星宿灯をつぶさに調べ上げ、全部で42基あり、それらは、元治元年(1864)の小田原・誠信講と明治40年(1907)の新吉原講によって、二次に渡って造られたもの(失われた二宿分は平成)であることを明らかにしている。

是非一度、自分の目で確かめてみたいと思っていたのだが、なかなか実現しなかったのだ。小田原発の大雄山線の終着駅に降りたった。足柄山の金太郎さんが出迎えてくれた。まず、参道一丁目まではバスに乗った。

そしてバス停周辺を、きょろきょろ探す。まず、”日月星宿”の石塔が目に入る。これから始まる星宿灯参道の表札みたいなものだ。そして、その反対側の道路沿いの、幼稚園の手前にも石塔らしきものが。つかつかと忍者のように近づく。おおっ、”角壱丁目”の文字が。角は星座の名前だ。明治40年とあるから新吉原のものだ。まず第一目標達成だ。

そして、100メートルも歩くと、二丁目が。これは道の両側にある。小田原講と新吉原講のふたつとも残っている。そして、三丁目も容易にみつかる。そして、仁王門がみえてきた、この近くに四丁目があるはず。むむむ、行ったり来たり、なかなか見つからない。早くも挫折か。近くの石に腰かけて、図録をみる。なんとな、”植え込みに隠れる”の文字が。そ、そそういうことだったのか。植え込みを、分けいっても分けいっても青い山、あ、あった!ひとつの難関を突破した。

さらに、5,6、7と順調に踏破していく。仁王門からは車道とは別に、プロムナードも、山門前まで走っている。石灯籠が車道の向こう側にある場合もあるので注意して歩く。こうして、果てしない旅が続く。途中で、面白きなき世を面白くさせるため、ゴールの二十八丁目を人生の終点と考えてみた。28x3で84歳が終点、10丁目のときは30歳というふうに。だんだん年を重ねていった。

18丁目茶屋があった。54歳か、上から下から文句を言われる年だったな、一休みすんべえ。20丁目。もう還暦か、定年退職の年。しかし、まだ山門にも辿りつかない。まだ一人前ではない、ということか。実際そうだったな。そして、22丁目。今のオレだ。なななんと、まだ山門を潜れない。道了尊バス停前でござんす。修業が足らない奴は駅まで引き返せということか。うーん、しかし、ここまで来て、戻るわけにはいかないノダ。

そして、山門の手前が二十四丁目。やっと潜って二十五丁目。75歳だ。後期高齢者になって、やっと一人前になるのだ。そういえば、平櫛田中は、”六十、七十、はな垂れ小僧、 男盛りは百から百から”と言っていたっけ。境内に入る。二十六丁目、そして巨大な天狗の下駄(ここは天狗信仰の山なのだ、3年ほど前の横浜の歴史博物館の天狗展でも紹介されていたノダ)の横に、二十七丁目。81歳はもう天狗になって、何を、言ってもいいノダ。

いよいよ、最後の二十八だ。これさえ見つかれば、ぼくの大雄山参道二十八星宿灯、全制覇が成就する。わくわくどきどき・・・しかし・・な、なない。ない。なくて七癖、図録を拡げる。でも、見つからない。図録のマップが間違っているのかもしれない、不安になる。最後の最後で脱落か。さすれば、ぼくのこれまでの人生は何だったのか。終わりワルければ、すべてワルしというではないか。

境内をぐるぐる回っても、みつからない。10分たつ、15分たつ。天狗の下駄はいくつも見つけたが(汗)、肝心のあれはまだだ。と、そのとき、・・はて、あれは・・・石垣をバックにして保護色のように隠れているあの石塔らしきものは・・・わくわくどきどき・・がくん(石に躓く)・・・ごくん(生唾を飲みこむ)・・近づく。石塔には、星座名 軫(しん)、そして二十八丁目の文字が。それも、小田原講と吉原講の二つが並んで。

ついにやった、大雄山参道二十八星宿灯、全制覇。こうしてぼくの星宿灯人生街道もここで無事終わりを迎えた。実際、二十八丁目まで生きられるかどうかは保障の限りではありません。

・・・・・
  
江戸の星座、吉原遊郭と最乗寺との関係については、改めて報告したいと思います。また、全制覇証拠写真もそのときに。


駅前の金太郎


参道


山門


天狗の下駄


境内


角壱丁目


今日は、暑いけれど、涼しい風も吹いていました。大雄山の天狗さまのおかげと思います。



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新藤兼人監督 逝く

2012-05-31 08:07:13 | Weblog
新藤兼人監督が亡くなられた。100歳の大往生だった。

この春、二か月にわたって、鎌倉市川喜多映画館で”映画監督、新藤兼人の仕事展”が開催された。その間、多数の新藤作品が上映され、最後の上映が遺作となった”一枚のハガキ”で、ぼくはそれを観に行った。そのときのことは、ブログ記事にしている。そして、毎年8月の八幡様のぼんぼり祭り。逗子にお住まいだった新藤さんのぼんぼりも、毎年、本殿前に故平山郁夫と並んで飾られていた。ぼくのブログは、2006年のぼんぼり祭りから始まっていて、その後もほとんど毎年のようにいき、そのたびに記事にしてきた。

ここ数年の新藤さんのぼんぼりを掲げ、ご冥福をお祈りしたいと思います。

2011年ぼんぼり


2010年ぼんぼり これが”一枚のハガキ”の文面だった


2009年ぼんぼり


2008年ぼんぼり




天国の蓮の花の上でゆっくりお休みください

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おんめさまの初夏の花

2012-05-30 17:56:11 | Weblog
鎌倉駅近くの、おんめさま(大巧寺)の初夏の花を眺めに行った。道端のドクダミの花が一気に増えてきたので、そろそろ、おんめさまの八重ドクダミもいいかな、と思った。どんぴしゃり。お見事、八重のドクダミ。




ほたるぶくろも一緒に咲いてた。そろそろ蛍の季節か。時がたつのは早いもんだ。


その向かいには、ぷんぷんといい匂い(?)を放ちながら、においばんまつりが。お祭り好きなぼくにぴったり。


隠れたようなところに、小さな小さな実が。よくみると瓢箪型だ。名札をみると、ちしまひょうたんぼく。


花も実あるいい男。清水の次郎長親分でござんす。森の石松もいい男でござんす。でも、バカは死ななきゃなおらあない、とも広沢虎造にうなられていました。


これは、ちりあやめ。


ガーベラ


ヤマアジサイも咲きだした


V字サインは誰だ


松井秀樹だ。いきなりホームラン。いきなり団子は熊本銘菓です。よろしくお願いします。一口食べると、一口昇格します。


うれしさも中ぐらいなり松井弾 
 

”大いなる西部” 良かったあ。グレゴリー・ペック、チャールトン・ヘストン、ジーン・シモンズ、キャロル・ベイカー。感想文は(気が向いたら)いきなり出します。


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蕭白ショック

2012-05-30 10:04:37 | Weblog
別冊太陽の”水墨画発見”(山下祐二編)を図書館で借りていて、今日、返さなければならない。面白かったので、ちょっとメモしておこうと書いている。10年前の出版だが、はじめのテーマが、”驚愕の水墨グラフィック”。水墨画というと山水、瀟洒な花鳥を思い浮かべるあなたが、腰を抜かすような、トンデモナイ、アブナイ・・との説明もつく。そして、そのトップページを飾っているのが、蕭白だ。ボストン展でも展示されている”風仙図”。巨大な風の渦巻きが迫ってくる。お付の人は強風に吹き飛ばされているが、仙人は刀を抜き、きっとした目で向かい合っている。この渦巻きの大胆さと、人物のディテールの細かさ、このコントラストがすごい、と山下さん。(蕭白が大酒飲みであったことから)冴えわたった酔っ払いとでもいいましょうかね、とつけ加える(爆)


そして、ページを括っていくと、また蕭白が登場する。”林和靖図”。これは千葉市美術館”蕭白ショック展”の前期に出ていたはず。ぼくは後期しか行っていないのでみなかった。これはとんでもなくエロい絵です、と、またショッキングな言葉が。どどどこがエロい?林和靖といえば西湖に浮かぶ孤山で梅と鶴と童子を愛して隠遁生活をしていた高潔な人格者のはず。それが、蕭白にかかれば、少年を獲物にしようとするエロい爺さんになってしまう(爆)。そういえば、ヤラシイ目つきでござんす。それに、背景にのたうち回っている梅もトンデモナイ絵なんだそうです。ここでは言えませんが(笑)。ぼくもたまにエロい木や岩の写真を撮ってますので、文句はいえませんが(汗)。


ボストン展でも、”見立て久米仙人”もそんな感じでしたね。


若冲も蕭白もともに奇想の画家と言われていたが、若冲は、ものをじっとみつめて描く収斂型。対し蕭白は、並外れた表現をとる拡散型だった、と結ぶ。なるほど、精神が自由奔放ということでしょうか。

今年は、東博のボストン展、前期・後期 そして千葉で、蕭白ショック展と蕭白作品をいっぱいみせてもらいました。見逃した林和靖図は三重県立美術館蔵、また観る機会はあるだろう。

親戚のお通夜、葬儀とつづき、ちょっと疲れた。今日はのんびりしよう。生きているうちに楽しまなくては。午後からは、本を返しながら、むかしの西部劇の映画を観にゆこうと思っている(汗)。



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大船で世界の名画が

2012-05-29 08:46:21 | Weblog
大船で世界の名画が見られます。とは言っても、三日間の期間限定で、もう終わっていますがね。

本物じゃないでしょ? ええ、でも本物みたいな絵、今、はやりのジクレー絵画。ジクレーとは、コンピューター技術を使った、最新の版画技法のこと。この冬、銀座のフェルメールセンターに行ったときも驚いたなあ。本物と見紛うばかりのフェルメール絵画がたしかこの手法だったはず。そこでは、絵のサイズも原画と同じにして、額縁まで本物そっくりに作ってるから、(ぼくも行ったことのある)デルフトのフェルメールセンターかと一瞬、思ってしまったほど。

近くの鎌倉芸術館で開催されていた鎌倉ジクレー絵画祭。フェルメールの全作品、モネ、マネ、ゴッホ、ルノワール、ミレー、ルーベンスも。でも、ここはちょっと、フェルメールセンターというわけにはいかない。ギャラリーの展示面積が限られているし、絵の数もずっと多い。サイズも気にしていないし、並べ方もいろいろ。それはしょうがないこと。ジクレー絵画店のオープン記念の展覧会なのだ。この場で購入することも出来るし、また希望すれば、どんなサイズにでも出力できるとのこと。

ここ1,2年、ヨーロッパの美術館巡りをしてきたから、あの絵は、オルセーのだとか、この絵はロンドンナショナルギャラリー、とか、思い出しながら、楽しむことができた。撮影可能でしたので、名画の一部を掲載します。













徳島の大塚国際美術館では、世界の名画(複製)が本格的に展示されているらしい。今度、阿波踊りとセットで訪ねてみよう。踊るあほおに観るあほおと言われても行くゾー。モンクアルカ
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岩佐又兵衛絵巻 堀江物語

2012-05-28 07:31:22 | Weblog
熱海、MOA美術館の岩佐又兵衛絵巻シリーズ、第3弾”堀江物語”を観てきた。これで、”山中常磐物語”、”浄瑠璃物語”そして、今回の絵巻と、又兵衛三大絵巻制覇を成し遂げた。先の平治物語原本三巻制覇につづく快挙だ(汗)。

たしかに、こんな豪華な展示はもう一生観られない。MOA美術館でさえ、30年前の開館記念に展示しだけというから、まあ、あとは50周年のときだけだろう。なにせ、三絵巻とも12巻全巻揃いの巻物を惜しげもなく、全部、拡げ、いくつもの部屋にわたって展示しているのだからすごい。それに、都心の美術館と違って、静かに、ゆっくりと観ることができる。これは、とくに絵巻物を観るにあたって、重要なこと。もともと絵巻物は個人がひっそりと部屋で拡げてみるものだから。ただ、今回は、突然、中学生の大団体が入ってきて、騒々しくなり、ムムム、今日はついてないと思ったが、絵巻の前を、ほとんど立ち止まらず、あっという間に過ぎ去ってくれた。ほっ、とした。と同時にこれでいいのかとも思った(笑)。

”堀江物語”は、ほかの二つの物語同様、古浄瑠璃の絵巻物化であり、かつ山中常盤と同様、仇討ち物のひとつである。香雪美術館蔵”堀江物語”三巻などの残欠本とは別に、後に又兵衛工房により描かれ、津山藩に伝来していた12巻、全巻揃いの作品である。

この絵巻も、全体を通して、極彩色で繊細な描写で、ちらりと観ただけでも、いいものを観たなという感じを受ける。浄瑠璃の語りのように詞書がまずあって、その一コマが描かれている。今回はとくに、その一コマ一コマが連続している場面が多く、漫画をみるような、分かりやすい筋立てであった。人々の行動の描写もていねいで、喜怒哀楽の表現も、少し、おおげさに描かれていた。たとえば、悲しい場面では、侍女たちが悲しさのあまり、およよと倒れこんだりして、身体いっぱいに表現し、まるでお隣りの国の人のような感じを受けた(笑)。顔の表情もさまざまだった。だから、ストーリーだけでなく、登場人物の動きや顔の表情も楽しむことができる。

以下に、1巻から12巻までのストーリーを美術館資料に従いまとめてみました。

第一巻
下野国塩谷郡(現在の栃木県)、三千八百余町の領主、堀江左衛門頼方は清和天皇の血をひく由緒ある家柄。嫡子、三郎は16歳で、上野(こおづけ)の原左衛門の美しい姫をめとる。可愛い男の子も授かる。しかし、頼方が病死し、領地を取り上げられ、堀江家は衰退する。

(姫を屋敷に迎える場面)


第二巻
姫の父親は、おちぶれた堀江家にいつまでいないで、この際、新たに赴任してきた独身の国司、中納言行敏の嫁になれという。姫はいやです、サブちゃんがいいと拒む。

第三巻
国司の行敏は姫にぞっこんで、なんとか嫁にと、策を練る。(三郎さえいなければと)三郎に、自分に代わって、内裏の大番に推薦し、上洛の途中で闇討ちしようと考える。三郎は訝りながらも承諾する。

第四巻
堀江三郎は姫と子供の月若と名残り惜しみ、七十騎を率いて、凛々しく出発する。しかし、武蔵と相模の堺となる上田山麓に国司側の原兄弟の伏兵が待ち構えている。

第五巻
堀江三郎軍と原軍との壮絶な戦いが始まる。強い太刀さばきで原兄弟を討つが、多勢に無勢、負け戦となる。堀江は切腹する。実家の、原の館に呼び寄せられていた姫の夢枕に堀江が現れ、姫は胸騒ぎを覚える。

第六巻
夜が明け、姫は堀江の館に戻りたいという。原は送ると見せかけ、国司の館に連行してしまう。ここは我が家じゃない、返してちょうだい、と泣く姫を国司は輿から降ろさせる。

第七巻
国司の前に、兵の死骸が運ばれ、堀江の首も届く。姫は、夫の首と対面し、およよと泣き崩れる。涙が止まらない。もう生きる意味はないと、国司が外出したときを狙って自害する。

第八巻
原の館に姫の死骸が運ばれてくる。仰天した姫の母は夫をなじり、自害してしまう。原は忘れ形見の月若を国司に差し出す。月若を川に流せ、という命を受けた郎党は、かわいそうに思い大木の洞に置く。

第九巻
月若の乳母が、月若のあとを追って死のうと川縁に来たとき、月若をみつける。抱いて歩いていると、子宝を願って参拝した熊野神社から帰る途中の奥州の岩瀬権守に出会う。これが縁で月若は養子となる。元服して岩瀬太郎家村と名乗る。

第十巻
太郎は十五歳の秋、見知らぬ修行者から実はこれこれしかだったと聞く。キッと目を吊り上げ、国司を許すわけにはいかないと仇討を決意する。父親も賛成し、三日三晩で一万騎を集め、そのうちすぐれた千騎を選りすぐり、兵として息子に差し出す。太郎は下野に上る。まず、荒れ果てた堀江家の跡をみる。そこで、三郎の家来だった安藤太と涙の対面をする。


第十一巻
太郎は安藤太の案内で国司の館を攻め、国司の一族、家来を討つ。さらに、都に上り、国司の行敏も討つ。太郎は、仇討の経緯を帝に報告する。帝は幼くして、親の仇を討ち、国を乱した国司を滅ぼした功により、太郎を坂東八か国の国司に任ずる。

第十二巻(最終巻)
太郎は奥州に下り、養父に領地八か国のうち、二か国を贈る。そして下野の堀江の館を立て直す。昔の郎党が次々と集まり、堀江は高貴の家となる(完)


岩佐又兵衛の絵巻物は、まだある。宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の”をくり物語絵巻”、それに前述の、香雪美術館蔵”堀江物語”三巻残欠本。それらを閲覧してから、又兵衛絵巻制覇としたい。目標は高い方がいいノダ。



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吉田秀和さん逝く

2012-05-27 21:49:15 | Weblog
ぼくも大フアンだった音楽評論家で随筆家の吉田秀和さんが亡くなられた。さみしいことだ。

本ブログでも、数年前に鎌倉文学館で開催された”吉田秀和展”について記事にした。また、吉田さんは大の相撲フアンでもあり、八百長問題で常軌を逸した新聞の大報道に対して、やんわりと批判したエッセイを書かれたときも、その通りと、ブログ記事にしたことがある。

今日、逗子図書館に平治物語絵巻本を借りるつもりで行ったが、すでに貸出中だった。そのとき、そうだ、吉田秀和さんの本をと、二冊ほど選んで借りてきた。朝日新聞に連載されていた”音楽展望”のエッセイをまとめたものと、音楽評論”永遠の故郷”シリーズのひとつだ。

帰りに円覚寺に寄り、山門前で一時間ほど、読書し、吉田秀和さんを偲んだ。心に沁みる、いいエッセイを書かれる方だと、改めて思った。ご冥福をお祈り致します。











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大船フラワーセンター 薔薇園 最高潮に

2012-05-26 17:41:44 | Weblog
一週間前、大船フラワーセンターの薔薇園が見頃を迎えたことを報告しましたが、今日、またみてきました。最高潮に達しました。最高の見頃です。ロイヤル品種も揃って咲いています。たいてい、どれかがしょんぼりしていますが、今年は皆、元気です。それでは、前回、咲いていなかったものを中心に出来るだけ多くの品種をアップしてみました。





ピンクパンサー


ホワイトマスターピース


紫香


コンラッド・ヘンケル


マチルダ


パーマネントウエーブ


花房


サプライズ


シャルダン・ド・フランス


ブルーバユー


桜貝


メイナルゴニス


・・・・・

プリンセス・アイコ


マサコ


ロイヤルプリンセス


プリンセス・ミチコ


プリンセス・オフ・ウエールズ


クイーン・エリザベス


・・・・・

たそがれ


グラハム・トーマス


カウンティーフェアー


ピース


ラベンダー・ドリーム
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虹 ドクダミ さつき みどり 

2012-05-26 09:05:58 | Weblog
今朝の風景

マンションの壁に虹が出ていた


ドクダミの花が咲き始めた


さつきが咲きそろった


カラーがうつくしくなった


金糸梅が咲き始めた


昼顔も朝から顔を出すようになった


マンションの横に金環日食が出ていた


(以下昨日の風景)

虹色の階段を登った 天国への道だろうか(汗)


行先はやっぱり天国だった 黄金茶室


天国はいつも春らしい 梅も咲いていた


熱海の町ではさつきは、みなかったが、五月みどりさんが迎えてくれた


おひまならきてよね、と言っていた。忙しくてもきてね とも言っていた。
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近代競馬150周年記念/くらべ馬展 馬の博物館

2012-05-25 16:38:30 | Weblog
日本ダービーが近づいてきた。近代競馬が始まって150年になるという。その発祥地は横浜だ。現在の根岸森林公園がその競馬場だった。公園の一画に”馬の博物館”がある。以前、訪ねたときは休館日だったので、今回は確認してから行った。ちょうど、特別展として”近代競馬150周年記念/くらべ馬展”が開催されていた。近代競馬ではなく、古式競馬の”くらべ馬”についての展覧会で、多くの貴重な史料や美術品が展示されていて、十分楽しめたし、勉強にもなった。簡単に紹介したい。

第一章:古式競馬の確立

古式競馬は、その歴史を大宝元年(701年)に遡れるという。続日本書紀にその記載がある。平城京遷都後の奈良時代では史料が見つからないが、平安時代に入ってからは、藤原道長の日記である”御堂関白記”などに具体的な記述があり、五月五日の端午の節句の際、宮中でくらべ馬が開催された。また、宮中だけではなく、摂関家がくらべ馬の大会を催し、天皇が行幸されたらしい。とくに道長は相当な競馬好きだったらしく、自邸で開催していた。

御堂関白記


駒競行幸絵巻(静嘉堂文庫蔵)


源氏物語手鑑


第二章:年中行事化していく”くらべ馬”

平安時代後期になってからは神社などでも行われるようになった。上賀茂神社と春日大社が主なものだが、石清水八幡宮、日吉神社、北野天満宮、仁和寺などでも”くらべ馬”が行われた記載がある。展示の屏風絵、絵巻、衝立図をみると、二騎で競うという場面が多いから、そういう形式で競争したらしい。真剣に走りくらべをしているものもあれば、和気あいあい風のもある。取っ組み合いの喧嘩を始めた馬上の人もいる(笑)。

競馬図屏風 室町時代 (春日大社)


競馬図衝立(若宮調度) 江戸時代 (春日大社所蔵)



第三章:今もつづく競馬神事/賀茂競馬の世界

賀茂競馬のはじまりは寛治7年(1093)とされるが、賀茂競馬の原型が出来上がったのは鎌倉時代初期で、現在も当時の儀式が踏襲されている。五月一日には競馬に出場する馬足の優劣を定める足汰式、五月五日に競馬が行われる。賀茂競馬図屏風によりその儀式の様子を知ることができる。是非、一度、観てみたいものだ。

賀茂競馬図屏風 江戸 久隅守景


賀茂競馬図屏風 江戸 吉江文雄


東海道名所之内 加茂の競馬 河鍋暁斎


賀茂競馬衣装


外に出ると、お馬の親子が草を食していた。毛づやが良かった。


10戦10勝 幻の名馬、トキノミノルがいた。


トキノミノルの向こうに、日本近代競馬の始まり、旧根岸競馬場の一等馬見席がみえる。関東大震災後建てられ、1943年に閉鎖。それ以降、使われていない。JHモルガンの設計。廃墟美の雄。






元競馬場は、今、子供の天国になっている


元競馬場の面影も


楽しい馬の博物館見学だった。


今日、熱海に行き、又兵衛絵巻、三絵巻閲覧を達成した。
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