京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

涎掛け

2015年08月13日 05時25分32秒 | 社寺

↑真新しいよだれかけが綺麗といえば綺麗

京都は、いまお盆の真っ最中。
お墓参りの人や夏休みで観光に来ている人が溢れている。
どこに言っても汗臭い匂いがするのがちょっと辛い。
このお地蔵さんの群れは、六波羅蜜寺にあったもの。
赤いよだれかけが綺麗。
お地蔵さんのよだれかけは、昔は、実際に赤ちゃんが使っていたよだれかけをお地蔵さんに巻いて赤ちゃんの匂いを憶えてもらったとか。赤い色は魔除けだとか。
色んな話しがあります。


↑京都の古い町内の雰囲気です

民間信仰では、「賽の河原の物語」というのがあった。
親より先に死んでしまった子供は、罪を犯したことになる。その子供は三途の川もわたれない。河原で石を積んで両親や兄弟の悲しみを癒す為に石を積む。それを地獄の鬼が崩しにくる。また一から積む・・・。悲しすぎる話しですよね。
お地蔵さんは、その子供たちを救ってくれるのです。


↑六波羅蜜寺


↑このお寺でもお精霊さんをやっているみたい。巻頭のお地蔵さんはこの右横にあった。

そう言えば、妹が中学生ぐらいで病気で亡くなった。
最後の斎場に行くのですが、その時、両親は行ってはいけないと言われた。
しかたなく私が行った。原因は、親より先に死んだ罪。
きっとそのことで、父親は怒ってトラブルになったのかも。
以来、父親は宗教的なことが嫌いになったのかも。
そんなことを行ったのはどの坊主かしらないけど、今なら私が両親に替わってボコボコにしてやるのに。


↑阿古屋塚、阿古屋は、景清の彼女。といってもわからないか。


↑清盛塚

だからキリスト教の牧師さんが出入りしていたのかも。
仏教が嫌になっていたのでしょう。
その牧師さんは、私の幼稚園の先生だった。
カトリック系の幼稚園だったのです。
園長さんがスイス人だった。
こそに私と同い年の男の子がいた。
彼は、日本人の子供から虐められていた。
外人というだけで虐める時代だったのです。
虐めているやるをかたっぱしからボコボコにしていた。
だから、その子と友だちだった。


↑石に文字が書いてある・・・賽の河原テイストね。

あの子の家がスイスに帰る時の悲しさはいまも覚えている。
お別れにブリキの玩具を渡して、走って帰ったな。
しばらく文通していた。
小学校の時、その子が白血病で亡くなったのを聞いた。
悲しかったな。
二つ目の大学の時、ヨーロッパに行った時、墓参りに行ったんです。
墓前で「あの時は、別れる挨拶をしっかりしなかった。本当に悪かった。胸がいっぱいでなにも表現できなかった」と詫びた。
※あの子のことで追加で想いだしたこと。家に遊びに行くと玩具があった。いまで言う「レゴ」だった。窓枠のパーツに透明のプラスチックがはまっていたのが、とてもショックだった。当時の私の玩具は「ZOOMER The ROBOT」だった。でもブリキ製だった。幼稚園児ながら「負けたと思った」。それと家の中の匂いがとてもバタ臭かった。憧れの西洋だった。そのあたりがフランス料理へ向かわせた原点だったのかも。


↑「ZOOMER The ROBOT」北原コレクションで脚光を浴びた。十年ぐらい前に大人買いしてしまった。お宝なんです。「ロビー・ザ・ロボット」もあります。(笑)


↑迎鐘、ここなら並ばずに撞けます。近所の珍皇寺は行列だしね。

何を書いているいるんだろう。
六波羅蜜寺なのに、お寺に関してなにも浮かんでこない。
まあ、いいか。
不意にあの子のことが頭に浮かんできたんですよ。
お盆ですね。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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危ない、アブナイ!

2014年11月11日 06時38分03秒 | モノ


実家で父親が色々な整理をしている。
必要な時は、手伝う。
この間は、ダイニングを整理していた。
同じような食器がたくさんあった、すこしずつ整理が必要なんです。
鍋、包丁もたくさん、切れなくなった包丁がたくさんある。
京男の包丁や鍋は、結婚の時に持って出た。砥石も。



ただ、高価な食器類は、実家においてありました。
この変わった形のモノもその一つ(高価ではないけど)。
これは、パンを食べる時、ジャムをいれて使っていた。
いまならオリーブオイルなんかもいれて使うだろうな。



これがもう少しで処分されるところだった。
父親は、目利きが全然できない。
そんな人もいるんですね。
母の遺品を私のところにもってきて「これは良い物だけどどうだ?」と言う。
悪いけど「思い出はわかるけど、モノとしてはなんの値打ちもない」と言ってしまいます。私のいうことを信じなくて、専門家に聞いて、結局同じことを言われていた。
京男の若い頃のコレクションだけは、処分させてはいけないので指定して触るなとキツく言ってあります。本でも初版本が並んでいたりしますから。
エイリアンの60センチぐらいの人形を「怖いから」という理由で父親が昔捨てた。
いま、あれがあればヤフオクで30万はしたのに・・・。
このロイヤルコペンハーゲンのジャムトレイは、持って帰ってきました。これは使える。


↑赤く囲んだ部分に亀裂がはしっていた!

次に時計のベルト。
時計のラバーベルトが亀裂が入っていた。
最近、結構している時計です。
もり、腕に付けていて落ちたら大変なことになる。


↑到着した新しいラバーベルト、これはイタリア製です。ROLEXは純正のラバーベルトがなぜかない。

さっそく新しいラバーベルトを手配した。
今回は、自分で取り替えることにする。
最近、時計屋さんで断られるのです。
曰く「ROLEXの直営店に行って欲しい」と。
ベルトぐらいいいじゃない。



まあ、特殊な道具も手に入れてあるのでさほど難しくないです。
ゴムも自分でカットしました。
ゴムカッターがあると便利なんですが。
もちろん、ステンレスのベルトもあるけど、なんかおっさん臭いのと重いのでラバーベルトにしております。
この時計とは、35、6年の付き合いだ。
長男にこの時計は、ちょっとだけ値打ちモノだから捨てたりしないように言ってあります。私の持ち物はそういうものが結構あります。そこが我が父親と違う点かも。
ZOOMER The ROBOT」なんかもお宝だろうな。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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ティントイ・ロボット

2009年06月24日 04時18分58秒 | モノ


今日は全然違う雰囲気の記事。
写真は、幼稚園ぐらいの時の遊び相手



「ZOOMER THE ROBOT/ズーマー・ザ・ロボット」
1950年代の野村トーイの代表作。
ずっとこれで遊んでいた。
とても気に入っていたんです。
懐かし以上のものがある・・・感無量。



もちろんこれは当時のものじゃない。
レプリカなんです。
それも箱まで忠実につくられている。
箱も立派な作品。
レプリカといえども各色世界で200台しかつくっていないそうです。
だからおそら手に入れようとしても入らない。
偶然オークションで手に入れたんですから。
本物は、北原照久さんの「おもちゃ博物館」にある。
本物なら数十万はするだろうな。
うれしいことに電池を入れると目が光って動く。
写真は、目が光っている状態ね。



小さい時、ロボットがとても好きだった。
車のおもちゃは、欲しがらなかったけど、こういうのは欲しがった。
もうひとつ映画『禁断の惑星』に登場するロボット「ロビー」がある。
近日記事に登場予定。これは、ティントイロボットじゃないけど。
いま撮影中。
この『禁断の惑星』はとてもよくできた映画だった。
リメイクするらしい。



いま、こうやってみるととても温かい雰囲気をもっている。
そういえばブリキの電車もあった。
パンタグラフ部分が顔に刺さった事件があった。
いまでも顔にその跡がかすかにある。
顔からおもちゃの電車がぶら下がっていたことを昨日のことのように覚えている。
幼稚園に行く前だった。



なんでこんなものを手に入れようと思ったのかな。
手に入れてみてわかった。
遊んでいた頃の周りの情景が頭にすべて浮んできた。
まだ若い親の顔。それが子供の視線で浮かぶ・・・不思議な体験。
食べ物の好き嫌いが多くて、ほとんど食べるものがなかったこと。
とても小さな幼稚園児だった。
幼稚園の園長の息子と友だちで、園長はスイス人だった。
家に行くとレゴがあった。
あれには驚いた。窓に透明のプラスチックがはまっていた。
僕らには、ブリキのおもちゃしかなかったのに。
小学校低学年の時、彼がスイスに帰国することになり、
ブリキのおもちゃをお別れに持っていったことを覚えている。
黙って渡して後ろを向いて、走って帰った。
何かもっと気の利いたことを話せばよかったのに。
べそをかきながら家に帰ったっけな。
このブリキのおもちゃは色んなことをリアルに思い出させてくれる
タイムトンネルみたいな存在かも。



なお今回の写真は、カメラマンのN君にお願いした。
バック紙がなかったし。こういう撮影はかなり難しいんです。
普通に撮ったら、目はこんなにならない。
彼が合成してくれた。
光ることでこんなに表情がかわったのには驚き。
ありがとう!

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