まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

木犀の 幹にアゲハの 昼休み

2016年09月30日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降り出した所があった。気温は20.5度から24.6度、湿度は88%から72%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の10月1日は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前まで雨が降るらしい。

 

 今日もすっきりとしない天候の一日だった。ま、朝の散歩はどうにか濡れずに済ませたのだけれど。

 

 愛用のインクジェットプリンターが壊れてしまったので、amazon.comで注文したプリンターが朝一番で届けられた。昨日の朝にクリックしたばかりなのに素早いことだ。

 

 このプリンターの無線LAN接続がうまくいかずに午前中が消えてしまった。今まではEPSONばかり使ってきたので、初めてのブラザーというもののシステムがわからなかったせいかも知れない。

 

 で、昨日からやっている家計簿の整理も印刷もうまくできた。

 

 さて、今日もしつこく「肥後守(ひごのかみ)」である。このナイフが禁止になったとかの記事を見た。”犯人の山口は少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まった。それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用されていた肥後守を始めとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなった。”というものである。

 

 それが、この「浅沼稲次郎暗殺事件」がきっかけだというのである。このシーンは、町の映画館でのニュースで何度も見た記憶がある。昭和35年10月のことらしいので、わが家にはテレビが入っていたのだが、テレビでは見た記憶がない。

 

 当時17歳だった山口少年が、銃剣で浅沼委員長を二度突き刺して殺害したという事件だった。このことから、不良がケンカに使う刃物と、イデオロギーに基づいて白色テロルを行う攻撃道具としてのやいばを一緒くたにし、これらの事態を重く見た警察庁より「飛出しナイフおよび携帯禁止の刃物」に関する通達が出され、刃渡り7センチ以上のナイフは製造禁止になった。肥後守を生産していたメーカーには各地の卸商から返品があいつぎ、三木市内にあった肥後守製造業者46軒が、倒産したという。

 

 それに代わって登場したのが、関東では「ボンナイフ」というものあり、

 

 関西では「ミッキーナイフ」とか「カミソリナイフ」とかと呼ばれていた。私たちの小学校では「ハガネ」と呼ばれていた。これは市販されていたカミソリの替え刃を金属で挟んだだけのものだった。これで、女子たちは鉛筆を削っていた。男の子は相変わらず肥後守を大事に持って使い続けていた。

 

 しかしのかかし、このことで、三木市の46軒の肥後守製造工場が倒産したというのは気の毒な話だなぁと思った。道理で、その後は「肥後守」が姿を消してしまっていたのか。

 

 午後からも、プリンターの設定とか、スキャナーとしての使い方とかOCRの使い方なんぞを試していたが、どうにもなじめないシステムであることか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段をみつけ、したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざであるらしい。忙しいから・・、時間がないから・・・と、ついつい、後回しにしてしまいがち。本当はやる気がないだけのことらしい。本当にやりたいなら、本当に好きなことなら、寝る間も惜しんでやり始めるはずである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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