まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

端正の 菊の季節の 一途なり

2017年10月17日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。昼過ぎからは曇りになった。気温は14.9度から19.7度、湿度は92%から66%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり。明日の18日は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込みらしい。

 

 今日も朝から雨が降ったりやんだり・・・。しばらくはこんな天候が続くらしい。

 

 で、恒例の火曜日出勤の日。小雨の中、前山地区活性化センターにやってきた。こんな雨の日でも歩き遍路の方が何名か休まれていた。

 

 観光ガイドマニュアルの話は進展しない。9月いっぱいで・・ということだったが、10月も中旬を過ぎたのに音沙汰がない。で、今日のお仕事は、この納め札の解読作業。このおじさんが中島先生で、データーの記録修正係。この大きなディスプレーの後ろの人が渡邊会長で画像解析係。

 

 で、何人もの目で、読み進めていく。「これは藤吉やな」「いや、留吉じゃない?」などとやってる訳だ。渡邊会長は、文化財保護協会の会長も兼ねていて、古文書の解読はお手の物。

 

 だから、こんなマニュアルを作って、私たちに呉れている。これらを頼りに作業をする訳だ。

 

 で、ここにある、「おへんろ資料室」のガイドも、私たちがやることになった。そこで、合間に、ここの観光ガイドブックも作ることになった。

 

 まずは、「捨て往来」と呼ばれる、お遍路さんの通行手形である。

 

 とある有名な方の寄贈された品であるが、その上に書いてあるのが「通行手形」である。

 

 私の訳したものであるが、最後の、「病死などの節は、その処のお作法で処分してください。国元に知らせる必要はありません。」という冷酷なもの。これを「捨て往来」という。

 

 こういうことは、浄土真宗の二十四輩巡拝でも同じような「捨て往来」が使われていたので、どういう理由の旅であっても、こうした形式の手形になったようである。それほど、昔の旅は過酷なものであったということだ。

 

 お昼からは、旧国名と、そこにあった郡名表などを調べたり、

 

 和暦と西暦換算と何の干支の年だったのかを調べる一覧表を用意して、子文書解読の資料作成をやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。

 上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

 
*「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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