まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

降らぬ間に草刈り剪定ねじれ花

2020年06月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は22度から26.2度、湿度は94%から80%、風は0mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前から昼過ぎを中心に雨が降る見込みらしい。

 

 102/54/78 36.4c-96% 59.8Kg 体調に変化は無い。

 

 昼からは雨だという天気予報だったもので、朝の5時起きで「樵夫(きこり)」をやってみた。ここは、昨日、草刈りをした旧道部分なのだが、自然に生えたという梅の木が伸び放題になって旧道部分を塞いでいる。これが草刈りの邪魔になって、困るのことよ。

 

 そこで、邪魔になる部分を切って、切って、切り落としてみた。大家さん(うちの土地を売ってくれた人)の言うことには、我が家のものになっていると言うのだ。旧道に附属していた梅の木だろうか。梅の実が落ちてしまったのを確認しての枝切りになった。

 

 木の枝を持ち上げるのは大変なのだが、切り落とすのには造作ない。ノコで数回ほど引けば、地球の引力で落ちてしまうから便利なものだ。

 

 ほぼ40分ほどで旧道部分が空いた。これで荷馬車や大八車が苦労なく通ることが出来る(いつの時代の話じゃい)。

 

 今日は奥方もお休みで、早くから「シャエンバ(菜園:野菜畑)」でキュウリの収穫やらをやっていて、朝食は8時前になった。朝ドラを見ながら朝食なんて病院以来だ。

 

 今日のお絵かきは「すずめ」の積もりだが、ポチにも見えるだろうか。

 

 さて、観光ガイド「おへんろつかさの会」から「在宅研修資料」というものが届いた。四国遍路のはじめと言われる「衛門三郎」のお話しである。そのお話しはともかくとして、松山市荏原にある文殊院というお寺にある「衛門三郎夫妻の石像」であるが、

 

 この衛門三郎の胸に、「セバ札」という文字が刻まれている。この箱は「納札箱」というもので、お寺にお参りしたときに、「私がここにお参りしましたよ」というお札を納めるのだが、その納め札を入れた箱である。ここに、なんで、「セバ札」と書かれているのだろうか。

 

 最近のものは、こういう感じだったが、こういうものも姿を消しつつある。昔は「札挟み」と言ったような。

 

 これは最古の納め札だと言われているもので、四国霊場53番札所の円明寺にあるが、ここには、銅板の納札(1980年10月20日指定)で、慶安3年(1650)の銘がある。この納札は、四国八十八箇所を巡拝していた米国シカゴ大学の博士によって大正10年(1921)に世に紹介されたことで、広く知られるようになった

 

 ところがである。この衛門三郎のお話は天長年間(824-834)の室町時代のお話しで、江戸時代の慶安年間とは700年もの時代の差があるし、「セバ」というのは「黄銅」のことだから・・・という話も納得しがたい。「せば」という伊予国の方言でもあるのかしらん。いったい、「セバ」とは何を指すのだろうか。

 

 今日のお昼も奥方がいないので、昨日のようにトロピカルそうめんでキュウリづくし。今日はまぐろのたたきがトッピング。

 

 そろそろ、冷たいそうめんが似合うようになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「いつかという人にはいつかはこない いま行動する人にこそ いつかがくる」というもの。ベンジャミン・フランクリンも、こんなことを言っている。”いつか”という言葉で考えれば失敗する。”いま”という言葉を使って行動すれば成功する と。「いつかやる!」「今度やる」と言う人ほど何も行動しない。今できない事は、後でなんて絶対に出来っこない。行動とは、今できる事を地道に繰り返してこそ結果が出るもの。まずは行動することが大切だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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