まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨明けは まだまだ遠いと 立葵

2016年07月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは雲が広がってきて蒸し暑くなってきた。気温は26.1度から32.3度、湿度は92%から69%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みらしいので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるように気象台では呼びかけている。明日の8日は、湿った空気の影響で曇り、時々雨が降る見込みらしい。

 

 今日は二十四気の一つの「小暑」。夏至から数えて15日目、陽暦7月7日ごろ。暑さが本格的になるころだと言われている。

 

 暑さが少ない朝の間に、香川県立図書館にやってきた。ところがどうだ。今日はうるさいほどに蝉の声が降って来るように啼いている。まだ、ミーンミーンというミンミンゼミだが、早くもセミの声が聞こえるとは・・・。

 

 今週から、県立文書館で「日照りのアーカイブズ展」をやっているらしいので覗いてきた。例によって古文書や古地図などが並べてあって、讃岐の水不足についての展示がしてあった。昔から讃岐は雨が少なく日照りや干害で苦しめられてきた。そんな歴史を少しばかり復習してきた。

 

 で、遍路民俗学の本を五冊ほど借りてきた。例の「俵札」や「遍路札」に関する民俗学的資料集である。

 

 で、二日ほど留守にしたもので、今日はお荷物がどんどんと届けられてきた。関東からはモモが・・・。

 

 中国地方からはおまんじゅうが・・・。

 

 奥方の友人からはアイスクリームが・・・、神戸からは中華麺が相次いで届けられた。

 

 県立図書館からは本を寄贈したお礼状が・・・。そのほかにもクレジットカードの更新とかも。

 

 しかしのかかし、わが家の周辺ではセミの声はまるきり聞こえない。ということは高松の方が気温が高いということになるのか、時間帯によるものなのか。

 

 今日は、このお遍路さんのことを調べていた。中務茂兵衛さんは弘化三年、今の山口県大島郡で庄屋の家の三男で生れた。若いとき村娘との恋が成就せず遊郭に入りびたりとなっていたが、遊女の一人が四国八十八所のありがたい話をつぎつぎと茂兵衛さんに教えた。その話を聞いた茂平衛さんは、自分はなんと罰当たりのことをしているのかと反省をし、亡父の夢をみたことも手伝って、ついに四国遍路に旅立つのだった。そしてそのまま大正十一年280回目の遍路道中で78歳で往生するまで 四国を回り続けたのである。

 

 そして、ついには僧籍まで取り、

 

 各地に、こうした道標を建てて、他のお遍路さんのために道しるべを立て続けたのである。むろん、ただで道標が建つ訳ではないし、ただでこうした文字を刻んでくれたわけではない。これが最後の道標となる「279度目巡拝記念碑」である。

 

 これが茂平衛さんであるが、本名は「亀吉」さんで、法名(僧名)が義教であった。

 

 今日の掲示板はこれ。中務茂平衛さんとはまるきり関係ないが、「一切は縁において生まれ、縁においてあり、縁において去っていく」という宮城顗(しずか)先生のことばから。先生は昭和六(1931)年京都市に生まれた。大谷大学卒業後は、大谷専修学院講師や教学研究所所長などを歴任しながら、真宗大谷派本福寺の住職でもあった。先生は、平成十七年の五月に、東本願寺で開かれた「親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の真宗本廟お待ち受け大会で「汝、起 ちて更に衣服を整うべし」と題した記念講演をされている。その直後から三年の闘病生活に入られ、平成二十年に七十八歳で往生された。その先生の姿勢は「聞思」ということだったそうである。それは、仏法に自分のいのちの営みを聞き直し、仏法に自らのいのちを問い、思惟することだった。2002年法語カ レンダーの2月の同先生のことばに「他力の生活は、最後まで努力せずにはおれない生活なのです」というものがある。言い換えれば、念仏(仏法)に支えられた生き方を求められた生涯だったと思わる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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