30日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、雷を伴って雨や雪の降る所があるらしい。気温は10.0度から4.8度、湿度は60%から44%、風は7mから4mの西南西の風が一時は強かった。強風・波浪・乾燥注意報が発令中。明日の31日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置や寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雷を伴って雪の降る所がある見込みなのだとか。
収縮期105mmhg、拡張期50mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重63.6Kg 室内気温23.6c/室内湿度32%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:03分 月齢は25.8の若潮。
昨夜の夕食はちらし寿司にカニ。これを独り占め。
カニは手が汚れるから嫌いだなぁ・・と思いつつ、食べ出したら止まらない。なんだかんだと完食してしまった。
で、今日はご案内のとおりのお餅つき。私は若い頃にお餅を32個も食べて胸焼けを起こして以来、お餅が食べられない。だから、お餅つきだと言っても少しも楽しくはない。ただ、毎年の行事だから粛々とやっているようなもの。
我が家の場合は、こういう餅つき器を使っている。旧宅で母が買ったものだから、もう、30年も40年にも成るのかも知れない。私が若い頃には父が杵を打って母が手返しをしたものだったけれど、父が若死にしたものだから母も面倒くさくなったのかも知れなかった。
今年も弟がお手伝いに来てくれてのお餅つき。だから二軒分の二臼だけになった。奥方が餅米を蒸したり、小さくちぎってくれるので、弟と私が丸めてお餅にしてゆく。この黒い物が「餡:あん」である。讃岐独特の「あん入り丸餅」である。
下の二つが仏さん用の鏡餅。このころは最初だからお餅らしくはならない。「食べたら同じ事」ということで、出来映えは二の次。
餅搗きと言っても、おもちを搗く・・・という感覚ではなくして、羽根で「こねる」という感じ。
ま、毎年、こんなものだ。我が家は二人だけで、私がお餅を食べないから奥方一人分だけがあればいい。
で、できあがったお餅は「ののさま」へお供えをしておく。
これで、私のお仏壇への「お荘厳:おしょうごん」は完了。あとは奥方が仏花に松をどう活けるかである。「あんた、お坊さんでしょ!」と言われるが、仏花の活け方までは習わなかった・・・と、思っている。はず。法要時の仏花は習ったかもしれない・・・。
で、来年の二日の「正月礼=新年会」の準備である。感染症も少しは落ち着いてきたからか、十数名のお参りがあるらしい。祖母の時代には「おとびら開き」ということで、いつもは閉じてあるお仏壇を、お正月にはお扉を「開扉」して合掌、お念仏をしたものだが、私になってからはいつもおとびらは開いたままにしてある。だから、誰でもいつでも合掌お念仏ができるから良かろうわい・・と思っている。
これでお正月の準備が一つ終わった。
で、いつもの。迎春準備確認表。作業は順調に進んでいるが、明日もお天気が悪そうなので、家の周囲のお掃除は無理かも知れない。
あとは家の周囲のお掃除を残すばかりか・・・。
今日の掲示板はこれ。「年は唯 黙々として行くのみぞ」という高浜虚子の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。高浜虚子の擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。太陽と月は宇宙の旅人で、太陽は日没とともに闇の世界にこもり、日の出とともに新たな生命を受ける。月も終わりの闇夜を「月隠(つごもり)」とか「晦日(みそか)」といい、新しい出発を「月立ち」とか「朔日(ついたち)」といった。太陽と月は「死」と「再生」をくり返して大晦日となる。年も古い生命を葬り、新たに生まれて新年となる。私たちもただ、黙々としてゆくばかりである。
じゃぁ、また、明日、逢えると、いいね。