礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

渡辺修二郎の「他国侵略」観

2012-06-06 06:43:23 | 日記

◎渡辺修二郎の「他国侵略」観
 
 李鴻章が「韓人」に送った私書を紹介した渡辺修二郎は、それについて、次のようにコメントしている(『東方関係』七六~七七ページ。カタカナ文をひらがな文にしたほか、表記を少し変えた)。

―清人が韓廷を誘惑し、以て日本人を嫌悪せしめんとするの索は、常に日本人は朝鮮国の土地を奪はんと欲する者なりとの辞柄に出づ。しかして清人もまた実にかく信ずるがごとし。清人の信ずるところ全く事実に反せり。韓人の惑はさるるは、その愚、憫笑〈ビンショウ〉に堪へたり。近来、わが政事の局に当る者、一人として豈に他国侵略のごとき偉索雄図を画すること有らんや。すなわち余がかつて、わが国政士の国内の近小事にのみ齷齪〈アクセク〉たるを慨嘆して、政事者の小眼、国外を見るの余地なしと唱導したる所以にして(『世界ニ於ケル日本人』及び『我国之前途』)、また近ごろ朝鮮出兵を見て殊に意外の観をなしたる所以なり。―

 渡辺は、李鴻章が「韓人」に対し、日本が他国侵略の野心を抱いていることを警告したことに対し、日本の政治家は国内の小事にアクセクしているだけで、そんな「雄図」を画することはできないと反論している。「他国侵略の野心」を抱くこと自体は否定していないことに注意したい。
 日本の政治家が、他国侵略の「雄図」を画することはないという渡辺の見解が誤っていたことは、その後の歴史が証明している通りだが、しかし彼の見解は、この文章を発表した時点でも、すでに誤っていたのではないか。第一に、現実におこなわれた朝鮮出兵(一八九四年七月の出兵を指すと思われる)を予測できなかった。第二に、幕末から維新当初において、すでに朝鮮侵略を主張する論者が存在していた歴史的事実(明治初年の「征韓論」を見よ)を、あえて無視している。第三に、日本に限らず政治家というものは、国内の「小事」でつまづいたり、「小事」のために国内の世論が割れているような場合には、えてして「他国侵略」の道を選びがちだという政治的な認識に欠けるところがある。
 この『東方関係』という本は、興味深い本ではあり、資料的にも貴重なのだが、筆者の日本国家観、アジア観、あるいはその歴史観については、かなり批判的に受け取ってゆく必要があるように思う。【この話、しばらくしてから、また】

今日の名言 2012・6・6

◎今日邦人の心を用ゆるの精粗は、他日盛衰栄枯の因を作すもの

 鞍智芳明の言葉。彼が起草した「奉公会設立の主旨」(1894年3月)の中に出てくる。鞍智芳明については不詳。奉公会は、「対外思想の普及」を計るために、遠江・浜松町に設立された結社。設立は、日清戦争の数カ月前である。まさにこの時代の邦人の政治的・外交的・軍事的決断が日本の進路を決め、その後の「盛衰栄枯」の因を作〈ナ〉したのである。渡辺修二郎の著書『東方関係』は、この奉公会から刊行されている。なお、「用ゆる」という表記は、今日の文法では誤用とされるところだが(正しくは「用ゐる」)、この当時の文献では珍しい例ではない。「用ひる」という表記についても、同じことが言える。

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