礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『かたわ娘』に見られる欧文風の構文

2012-06-14 05:25:17 | 日記

◎『かたわ娘』に見られる欧文風の構文

かくてとしつきをふるに従ひ、不思議なるかな、世上にてこのかたわ娘の評判しだいにうすらぎ、はたち〔二十才〕ばかりの年にいたりしかば、きんじよにてもまつたく忘れたるがごとく、ひとりとして噂するものもなきゆゑ、両親も心のうちによろこび、しかるべきむこ〔聟〕をもとめてこれに家をゆづり、その身は隠居しけるに、かのかたわ娘なる者、今は申しぶんなき一家の細君となり、年来の心配もきゑてあと[跡]なかりしとぞ。ああ、このむすめは、不幸にしてさいはひ〈幸〉をえたるものといふべし。外国にてかかる不具に生まれつきなば、生涯身のかたづき〔片付〕もできぬはづなるに、さいはひにして日本国に生まれ、同類のかたわ多ければこそ、人なみに一家の細君ともなりしことなれ。この婦人、不具なりといへども、すでに人の妻となる上は、その娘の時の由来を知るものこそこれを不具なりといはん。知らずしてこれを見れば、となりの細君が眉をはらひ、おはぐろをつけたるふうに少しもことなるなし。ただ、となりの細君はかみそり〔剃刀〕をもて眉の毛をそり、ふし〔五倍子〕の粉〈コ〉をもちひておはぐろをつけ、銭〈ゼニ〉をつひやし手間をかけ、まんぞくなる顔にきづ〔疵〕をつけてやうやくかたわになりたると、この娘は生まれつきあつらへのかたわづらにて、かみそりをもちひずおはぐろを求めず、やすやすと世間のかたわに仲間いりして、銭も手間もつひやさざりしとの相違あるのみ。じつに不思議なるは世間の婦人なり。髪をかざり衣裳をよそほひ、はなはだしきは借着〈カリギ〉までしてみゑを作りながら、天然にそなはりたるかざりをばをしげもなく打ちすてて、かたわ者の真似をするとは、あまり勘弁なきことならずや。まして身体髪膚〈シンタイハップ〉は天に受けたるものなり。みだりにこれにきづつくるは、天の罪人ともいふべきなり。 

 三段落からなる全文のうち、最後の段落である。再構成の手法は、第一段落・第二段落と同じ。
 この最後の段落で、福沢諭吉の意図は、一挙に明白となる。
 それにしても、この寓話、その語り口の巧みさに舌を巻く。ありもしない「かたわ娘」を登場させながら、近所の人々の悪口がいかにもそれらしくリアルである。この娘の将来やいかに、と心配しながら読み進むと、「今は申分なき一家の細君となり」と、アッサリかわされる。「さいはひにして日本国に生まれ同類のかたわ多ければこそ」という言葉で、旧習にドップリと漬っている読者をドキリとさせ、「じつに不思議なるは世間の婦人なり」といってトドメを刺す。非常によくできた戯文であると言ってよい。
 紹介が遅れたが、今回、『かたわ娘』の本文を再構成するにあたってテキストにしたのは、名雲純一氏編『明治時代教育書とその周辺』(名雲書店、一九九三)に掲載されている同書全文の影印であった。その影印を見るとわかるが、『かたわ娘』は、いかにも古臭く粗末な小冊子である。一見したところ、この古臭い冊子に、「新思想」が隠されているようには思えない。しかし福沢は、これに思いっきり毒を盛り、旧習にとどまっている人々を挑発し、かつ啓蒙したのである。
 さて、第三段落に関しては、まず、「身体髪膚は天に受けたるものなり」という表現が目につく。言うまでもなくこれは、『孝経』にある「身体髪膚之〈コレ〉を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり」という言葉のモジリである。つまり福沢は、儒教的倫理によらず、理神論的倫理によって身体加工を批判しているのである。それにしても、『孝経』にある儒教的倫理を完全に換骨奪胎し、キリスト教的、理神論的倫理に変容させているあたりは、いかにも福沢らしい。
 もうひとつ、ここで福沢が、きわめて複雑な構文を使用していることに注目したい。それは、「ただ、となりの細君はかみそりをもて眉の毛をそり、ふしの粉をもちひておはぐろをつけ、銭をつひやし手間をかけ、まんぞくなる顔にきづをつけてやうやくかたわになりたると、この娘は生まれつきあつらへのかたわづらにて、かみそりをもちひずおはぐろを求めず、やすやすと世間のかたわに仲間いりして、銭も手間もつひやさざりしとの相違あるのみ」という部分である。こうした複雑な構文は、これまでの「和文」では、おそらく使われてこなかったのではないか。福沢は、オランダ語・英語に習熟していた。だからこそ、こうした複雑な構文を駆使できたのでであろう。漢文にも長じていた福沢であるから、漢文からの影響ということも考えられるが、この構文に関しては、欧文の影響が大きかったのではないかと推察する。
 福沢諭吉の寓言『かたわ娘』については、当時の政府が進めていた「欧化政策」との関わり、福沢の「キリスト教信仰」との関わりなど、まだ論じたいことが残っているが、一度ここで話題を変える。

今日の名言 2012・6・14

◎死んだ人を思い出したとき、その人は私のところに来てるんです

「水俣学」で知られる医師の原田正純さんが、今月11日に亡くなった。その死を伝えられた作家の石牟礼道子さんが語った言葉。東京新聞の昨日の朝刊に紹介されていた。『苦海浄土』などの作品で知られる石牟礼さんは、原田さんとは五十年のつきあいがあったという。

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