礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

伊藤尚賢と東京大塚の健康相談所

2014-12-09 06:57:35 | コラムと名言

◎伊藤尚賢と東京大塚の健康相談所

 昨年の一二月一七日に私は、このブログに「衛生新報社と伊藤尚賢」と題するコラムを書いた。その前半部を以下に、再度、掲げる。

 一昨日〔二〇一三年一二月一七日〕のコラムで、衛生新報社編纂の『物理的健康増進法』(新橋堂書店、一九一七)という本を紹介した。その際、この本が、「家庭医学叢書」の第三七編であることを指摘するのを忘れていたので、ここで補足しておきたい。
 また、この本は、「衛生新報社編纂」となっているが、実際には、奥付に「編纂者」として名前が挙がっている同社編輯局の伊藤尚賢〈ナオカタ〉が「執筆」したものと、ほぼ推定されるということも補足しておく。
 ところで、この伊藤尚賢だが、今日では、ほとんど忘れられてしまった人物であり、生没年すらわからない。しかし、大正期を中心に、多くの著書を残しており、研究してみる価値のある人物ではないかと思う。たとえば、一九一六年(大正)に刊行された『実験有効民間療法』(新橋堂書店)などは、当時の「民間療法」を網羅的に紹介しており、史料としても貴重であるし、今日読んでも、なお有益な部分があるような気がする。

 コラムでは、このようなことを書き、「伊藤尚賢という人物について、博雅のご教示を乞う」という言葉で締めくくった。
 ところが、その後、一年近くたった昨日、伊藤尚賢のお孫さんを名乗られる方から、このコラムに対して、コメント投稿があった。以下に、そのコメントを引用させていただく。

 初めまして。お尋ねの伊藤尚賢氏は、私の祖父伊藤尚賢(しょうけん)と同一人物ではないかと思います。亡父の書き遺したものによりますと、尚賢は「明治7年(1874)秋田県の横手で生まれたもの、と推定」されます。
 尚賢は伊藤家18代目と言われていますが、定かではありません。「伊藤家は出羽久保田(秋田)藩の佐竹侯の分家出羽湯沢の佐竹氏に医者として使えたそうだが、いつ頃から医業にたずさわるようになったか分からない。」とか。尚賢の祖父「為仙はとくに名医の評判が高」かったそうですが、明治になって尚賢の父は町医者になりました。
「尚賢の幼、少、青年時代のことはほとんど分かっていない。」というのですが、「中村千代松氏が社長であった「衛生新報社」の記者を勤めたことがある。」「明治37年(1904)7月の日付で「人民新聞社」の「本社庶務主任兼広告係ヲ嘱託ス」という辞令が出てきた。」と父は記しています。
「医師試験に合格後、東京小石川で開業し、関東大震災前に小石川区大塚仲町36番地で、「健康相談所」を開設、傍ら「救世薬園」の看板で、乳の出る薬や神経衰弱の薬などを調剤・販売」、「漢方に当時すでに着目して、東西医学の融合に努めた」そうです。
「小学校の校医までも引き受け」「大塚医師会の役員」を務めました。
「医業の傍ら、通俗医学書を良く書いた。」「本は全国で読まれ」「(救世薬園の薬は)当時日本領であった台湾や朝鮮からも注文が舞い込」んだといいます。
「医学書のほかに「なるほど」なんぞといった生活百科全書のようなものも書いている。」「本格的な医学の研究もモルモットを使うなどして行い、その研究報告が薄いpaperとして残っていた。」「「漢方と民間薬百科(大塚敬節著)の「民間薬の研究資料」の項に「薬になる食物と薬用植物」(大正15年刊行)という父の本が掲っていた。」と書かれています。
「父は通俗医学書をはじめ、色々な本を書き、それで右腕が疲れるので、友人の医師杉本清吉氏に注射して貰ったところ、消毒が不完全であったため、菌が這入って丹毒になり、腕が腫れてしまった。昭和3年(1928)3月27日に死去。」
 53歳の若さでした。長男であった私の父が小学校5年生の時であったそうです。
(「」内は父の書き物よりの引用です。)

 というわけで、非常に貴重な情報提供であった。「尚賢の孫」さん、ありがとうございました。
 一年前のコラムでは、伊藤尚賢の尚賢の読みを〈ナオカタ〉としたが、これは、国立国会図書館のデータに従ったものである。しかし、お孫さんからの情報によれば、〈ショウケン〉という読みが正しいようだ。
 また、一年前のコラムでは、「生没年すらわからない」と書いたが、今回の情報提供によれば、生没年は、「一八七四~一九二八」である。
 今回の情報提供については、いくつか補足できることがあるが、これは次回。

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