礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

中野逍遙『逍遙遺稿』と川上眉山『観音岩』

2016-01-14 05:23:40 | コラムと名言

◎中野逍遙『逍遙遺稿』と川上眉山『観音岩』

 昨日の続きである。『昭和十三年二月現在 岩波文庫分類総目録』(岩波書店、一九三八年二月、非売品)を紹介している。本日は、「現代文学」の部門から、『逍遙遺稿』と『観音岩』の二冊を紹介してみたい。ともに、目録三六ページより。

 笹川臨風・金築松桂〈カナツキ・ショウケイ〉訳
訳文 逍遙遺稿(附 原文) 〔1048〕
 ★★ 〒6
逍遙とは明治の鬼才、中野重太郎〈ジュウタロウ〉のことである。廿七歳にして東京帝国大学漢文科を卒業し、詩文を以て世に立たんとしたが、不幸二豎〈ニジュ〉の犯す所となり、恨〈ウラミ〉を呑んで歿した。此の短生涯にも拘わらず、作る所の詩文百数十篇、悉く金石の声を放ち、其の鬱悒悲凄〈ウツユウヒセイ〉なるは屈原〈クツゲン〉の如く、其の沈痛激越なるは杜甫〈トホ〉の如く、其の此の世を慷慨悲歌するに当つては言々皆血、句々皆涙、彼の〈カノ〉バイロンを偲ばしめるものがある。

 川上眉山著
観 音 岩 前篇・後篇 〔1037〕
 各★★ 〒6
「観音岩〈カンノンイワ〉」は明治文壇の巨擘〈キョハク〉川上眉山〈ビザン〉の代表作であり、氏の作品中一番よくその特異なる作風を伝へてゐるものである。当時文芸物を脚色して劇に映画に上演されるといふことは甚だ稀であつた。この時代に於て「観音岩」のみは、劇に、映画に数回の上演をみて名声赫々〈カッカク〉たるものがあつた。眉山氏の作品の多くは或る事実に立脚して構想せられたものが多く「観音岩」も又その一つで、甲州の或る村に起つた、深刻な社会的悲劇を取扱つたものである。

 それにしても、言い回しが難しい。「二豎の犯す所となり」などは、読める人も少ないし、意味がわかる人は、さらに少ないだろう(「病気になり」の意)。「巨擘」という言葉も、同様である(「指導的立場にある人」の意)。
 小説『観音岩』は、劇や映画になったという。この映画というのは、一九一九年(大正八)に公開された映画『観音岩』(日活向島撮影所製作、小口忠〈オグチ・タダシ〉監督)のことであろう。

*このブログの人気記事 2016・1・14(13日朝日新聞報道の影響で篠村書店が急上昇)

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