◎東条英機とゲーリング(佐藤忠男『裸の日本人』より)
先月なくなられた哲学者の鶴見俊輔さんは、評論家の佐藤忠男さんを高く評価していた。佐藤さんが、まだ「無名」だったころ、雑誌『思想の科学』に投稿した「任侠について」という論文(一九五四年八月号に掲載)を激賞し、佐藤さんが文筆家となるキッカケを与えたのは、鶴見さんである。
鶴見さんを偲び、『戦時期日本の精神史』(岩波書店、一九八二)を再読していたところ、その二四五ページにある注に、佐藤忠男さんの名前があるのを見つけた。「忠臣蔵」とのカラミで、佐藤さんの著書『裸の日本人』(カッパブックス、一九五八)に触れている。「一つの壮挙だった」と、この本を誉めている。
この本は、たしか高校時代に読んだことがある。ほとんど内容を覚えていないのは、よく理解できなかったからだろう。もう一度、読みたくなって、図書館で閲覧した。
初めのほうに、「引かれ者の小唄――東条英機とゲーリング」という一文があった。懐かしい。たしかに昔、読んだ文章である。改めて「名文」だと思った。本日は、これを紹介させていただこう(三六~三九ページ)。
引かれ者の小唄――東条英機とゲーリング
あの夏復員して家に帰ってからすぐ、小学校時代の同級生たちの有志の間で、かつて自分たとの担任だったK先生が、汽車で二時間ほど離れた町の学校へ転校して戦災にあい、困ってその学校の宿直室に寝とまりしているそうだから、みんなで同級生たちから見舞品を集めて持っていってやろうではないか、という話がもちあがった。そして私は、まだ暑い日、三人の友だちとリュックに見舞品をつめてかついでいった。
遠い田舎の学校の裏庭で畑仕事をしていたK先生は、二年会わぬうちに、十も年をとったような、しょぼしょぼした姿で私たちの前に現われて、「やあ、よく来てくれましたねえ。」と、私たちをはじめて一人前の大人扱いするような、ひどく丁寧なあいさつをしてくれて、「みなさん、ほんとうにありがとう。では遠慮なくいただきます。」と、ずいぶん、よそよそしい感じの言葉でその品々を手にとった。
その日私は、このK先生が、かつて私に、「日本に生まれた幸福は何か、という質問で、万世一系の天皇をいただいるからです、という返答がすぐ出ないような不忠者は、上級学校受験の資格なんぞない!」という、私の小学校時代を通じてもっとも深く自尊心を傷つけられる言葉を浴びせた人なんだ、ということを心に激しくシコリとして持っていたのである。それで、〈あの先生、今はどんな顔をすることか〉と、ひそかに期待して行ったのである。が、そう叱ったときの威厳などみじんもない、すっかり意気消沈してしまったような、このときの先生の様子をしげしげと見まもると、私は、なんだか急に、ひどく味気ない、ゆううつな気分につつまれてしまった。
それは、戦後はじめて、天皇がマッカーサーを訪問して(〝伺候して〟と言うべきか)、尊大な大男のマッカーサーと、ネコ背でしょんぼりした天皇とが、並んでとった写真が新聞に発表されたときにも感じた気分である。そしてまた、戦争中にはひどく頼もしそうに思えた東条英機以下のA級戦犯の面々が、いざ極東軍事裁判の法廷に引き出されてみると、みんなおっそろしく神妙で、旦那に小言を言われている番頭といった程度の風格しかない、という、まことに味気ない発見をしたときにも感じたものだった。
「だまされた、だまされた。」と言うが、考えてみると、「おれこそおまえらをだました張本人だ。」という、でかいつらをしたやつは、日本には一人もいなかった。気がついてみたら、直接私をだましたはずの先生も、先生をだましたはずの東条以下の面々も、最高責任者であるはずだった天皇も、みんないちように、なにか、とんでもない巧妙な詐欺にでもひっかかったようにキョトンとしていて、あわれでみすぼらしく、まるで手ごたえも何もないのだった。
ニュルンベルグで行われた、ナチス戦犯のニュース映像を見ると、連合国側の鋭い追求を受けながら、ゲーリングなんかが、じつにふてぶてしい悪魔のような顔で笑っている。〝引かれ者の小唄〟と言えばそれまでだが、そこにはたしかに、「ヨーロッパを地獄のどん底に落としてみせたのはこのおれさまだ。」という、不遜な居直り方をする人間の姿がある。
ところが、日本のばあい、「おれがこの戦争の責任者だ。」とはだれも言わない。だれかれもが、みんな、「自分は上の者の命令にしたがったまでだ。」と言う。A級戦犯たちまでが、「自分は国家の方針に忠実であったにすぎない。」という顔をし、その国家のいちばんてっぺんにいる天皇は、要するに名前だけしかない〝象徴〟なのであって、具体的に命令をくだす〝責任者〟ではなかったのだそうな。
これはべつに、罪を軽くしてもらうために神妙なふりをしているわけではない、と私には思われた。たとえば、自分のばあいはどうだろうか。「不忠者!」と言われたとき、目の前がまっくらになるような感じにおそわれた。それはまるで、自分一人だけ、この世界から切りはなされてしまったような心細さだった。
その心細さに恐れおののいて、私は、自分が〝よい子〟であることを立証するために、みずから進んで死にものぐるいの努力をしたのである。つまり私は、〈自分は国家という大きな権威の一端につながっている人間である〉という確信がないときには、平静な気持ではいられない、という心理的な構造をもつ人間であったのだ。
そしてその点では、あのK先生だって、さらには東条以下の面々だって同じことだったのではなかったか。つまりみんな、心理的には、国家という巨大な権威に従順で、その権威をできるだけたくさん身にまとっておきたいと、一生けんめい力んでいたにすぎないのではなかったのか。その権威がどこかへすっとんでしまって、自分の生き方をささえるものが何もなくなってしまって、彼らもすっかり意気消沈してしまったのだ。
あのころはやった〝虚脱〟という言葉の意味がようやく分かってきた。
この文章に、伊丹万作や丸山眞男からの影響を指摘するのは、難しいことではない。ここで重要なのは、佐藤忠男さんが、担任だった「K先生」のエピソードから、はいっていることである。ここに、この文章の「説得力」があるのだと思う。また、「テン」の打ち方が絶妙である。おそらく、こういったところが、佐藤さんの文章術の秘密なのだろう。
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