礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

万民の意にさからう権力は滅びる(森脇将光)

2017-12-22 03:10:16 | コラムと名言

◎万民の意にさからう権力は滅びる(森脇将光)

 森脇将光著『三年の歴史』(森脇文庫、一九五〇)の「地方遊説の旅」の部から、「京都」という文章を紹介している。
 昨日、引用した箇所に続き、次のように続く。これは、「学生風の若い婦人」からの質問に対する回答の後半にあたる。

 私は痛感した。
 今次の造船疑獄、陸運汚職、保全、日殖等とかさなる政界、財界のスキャンダル事件を通じて考えられたのは、時と処こそことなれ、まさに平安朝末期の様相を、再現しているのではなかろうか。
 政治に権力をもつもの、財界に覇をとなえるもの、国民の指導層にある者どもが、よってたかって庶民の因苦をよそに、国民の血税を横にながし、私し、悪事と豪奢をかさねて、テンとして恥じざる有様である。
 平安朝のころは、貴族も、悪僧たちも、その悪を庶民の前にムキ出しにして我意をふるまった素朴さがあったが、現代のそれは、陰険老獪をきわめ、民衆にたいしては巧みに煙幕をはって、自己の懐をこやし、権力を固持しながら、一度壇にのぼれば、国利民福のために一身を犠牲にしているかの如くインチキな法燈をかかげて演説するのである。
 国民にはいくら節約しても、真面目に税金をはらえば、たちまち破産するような重税を課しながら、その重税の上に安坐しその重税で彼等は柳暗花明の地に歓楽をほしいまゝにしている。彼等はリベートという形で我々の血税を横にながし、贅をつくして恥じない、道義は地に堕ちている。
 平安朝時代の庶民ならいざしらず昭和も三十年の現在の我々に、これが納得できることであろうか。
 私は断じて納得できなかった。承認できなかった。
 知らなかったならいざ知らず、造船疑獄の一端を知り、かつ確実にその事実を識った私は、これをこのまま見拾てて、見すごすことができるか。
「森脇、お前はそれで自己の良心にはずるところはないか?」
 自問自答し、日夜心に苦しみ悶え、安眠もできない状態になった。
 その末、私は決然として起ったのである。
 私は平清盛のような英雄ではない。しかし叡山の暴慢な神輿にあえてたちむかい、一大勇猛心をもって弓をひいた平清盛の意気、あの意気こそ、もって範にするに足ると考え、仏罰たちどころに到るも敢て恐れずの意気をもって政治と財界の腐敗と堕落を、全力をあげて調査し、これを天下に訴えたわけである。
【中略】
 私は微弱ながら、青年清盛の意気を意気として、起ったわけであった。そしてついに吉田暴力内閣の崩壊となった。
 私はつくづく想う。
 万民の意にさからう者は、いかに権力の座で、指揮権発動のごとき暴挙をあえてして自己を護ろうとしても、遂いには滅びるものであると、
 それは天意だからである。
 万民の欲するもの、それはまた神の意志でもあるのだ。

 このあと、別の質疑応答に移るが、その紹介は次回。

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1 コメント

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Unknown ( 伴蔵)
2017-12-28 01:36:28
これは安倍政権のことを指しているのでしょうか?
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