礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

公爵はコスモポリタンで世界のことに明るい

2017-08-22 01:12:33 | コラムと名言

◎公爵はコスモポリタンで世界のことに明るい

 書棚を整理していたら、花見達二著『大転秘録――昭和戦後秘記』(妙義出版株式会社、一九五七)という本が出てきた。著者は、戦中に、読売新聞の記者だった人である。
 だいぶ前から持っている本だが、読んだ記憶がない。パラパラとめくって、中味を確認した。文章は平易で、随所に興味深い記述がある。しかし、情報の出どころがアイマイで、「史料」としての価値は低いという印象を持った。
 しかし、一応、その内容の一部を紹介してみよう。
 本日、紹介するのは、「近衛公・悲憤の最期」の章の、「マ元帥日本を掌握」の節である。

  マ 元 帥 日 本 を 掌 握
 昭和廿年〔一九四五〕八月十五日正午、終戦の大詔が渙発された。その前の晩、近衛師団の一部では抗戦継続のクーデター計画があった。陸相阿南惟幾〈アナミ・コレチカ〉は麹町永田町の官舎(本舍は空爆で焼失し、白アリの巣食う木造平屋の秘書官官舎を使用していた)でその砲声をきき、これを鎮撫するよう命じてから日本刀で自決した。東部防衛司令陸軍大将田中静壱〈シズイチ〉も自刃した。海軍の一部にも不穏な計画があった。しかし、大詔が下ると一切が静寂に帰した。襲来する爆撃機の来なくなった青空にむかって油ゼミが意志あるもののように悲しげに啼きつづけた。
 八月卅日、マッカーサー元帥が百五十名の部下を従えて厚木飛行場についた。その前の日、トルーマン大統領は早くもマッカーサー元帥に宛てて「日本管理政策」を命令していた。
 その第二節には
 ――天皇ならびに日本政府の権能は最高司令官に従属せしめられる――
 と明記してあった。世界歴史に初めての占領方式によって天皇も政府も議会も絶対服従下におかれるようになった。思い切った占領政策がとられはじめた。それは国民の生活ばかりでなく、精神も性格までも一変さすためにとられたものである。原子爆弾の洗礼も世界ではじめてであったが、こういう軍事占領の徹底支配をうけたのも世界で初の洗礼であった。
 九月二日、ミズーリ号艦上で降伏文書の調印がおこなわれた。なににでもひっぱり出される近衛はこの調印にも全権候補になっていたが、かれは辞退した。十一日、束条英機ら卅九名の戦犯容疑者に逮捕状が出た。東条はピストル自殺をはかって果さず、元参謀総長元帥杉山元〈ゲン〉は自決した。そのほかこの前後に多くの軍人や政治家や志士たちが自殺した。代々木原頭〈デントウ〉の大東塾十四烈士、愛宕〈アタゴ〉山上の尊攘十烈士(のちに二烈女殉死)皇居前広場の明朗会十二烈士女の壮烈な自決も人々の胸を打った。
 近衛が初めてマッカーサー横浜税関の建物に訪問したのは九月十三日の夕方。
 近衛は日本の内情を詳しく話し、自分の意見をつけ加えたが、マッカーサーはまっ向から日本の軍部に憎悪の念をあらわすだけで近衛の説明をきく気持もないらしかった。しかも、マッカーサーは五・一五事件も二・二六事件もまるで知らないらしく、妙なところへ黒竜会の話など持ちこんで、日本に対する無知をさらけ出した。第一回の会見は一時間で終った。
 片山哲〈テツ〉や風見章〈カザミ・アキラ〉はじめ近衛を新党党首におそうとする政治家や浪人が近衛をたずねてきた。これに対して、近衛を永久に政界から追放しようとする人々は、ことさら近衛を攻撃した。斎藤隆夫、川崎克〈カツ〉らは宇垣一成〈ウガキ・カズシゲ〉を内閣首班に推そうとして反近衛熱をあげた。首相東久邇宮〔稔彦王〕は九月廿九日マッカーサーを訪問し、
「自分は皇族軍人〔陸軍大将〕である。性格的にも封建的であるが総理大臣として差しさわりがあるとおもわれるか。またいまの大臣のなかで取りかえるべき人物はいないか」
 と質問したら、マッカーサーは微笑して、
「民主主義はむしろ殿下のような封建的な人物が先に立って育ててこそ育つ。大臣中に取りかえねばならぬ人物は見あたらぬ」
 と答えた。
 近衛は十月四日、マッカーサーを総司令部に訪ねた。あらかじめ打合わせしてあったのに副官があらわれて「元帥は会えないからサザーランド参謀長と会談して欲しい」という。その参謀長がなかなか出てこない。ながいこと持っていると一室に案内された。ソファーにサザーランド参謀長とアチソン顧問がいる。だが、みれば意外にもそこには「会えぬ」といったマッカーサーが深々と腰をおろして同席しているではないか。近衛は異様なかんじで挨拶を交し、
「この前に意のつくさなかったことをお話したい」
 と述べ、
「日本が世界にめいわくかけたことは申訳ないが、皇室や財界に対してアメリカにもふかい誤解がある。これらは軍閥に対して大きなブレーキ役をも演じている」
 と前提して、近衛の信念としているマルクス主義の罪悪について日本の現状と将来の恐怖を説明した。マッカーサーはかなり興味をひらかれたらしく
「下層の兵隊にもマルクス主義は浸透したか?」「ソ連大使はマルクス主義を扇動したか?」などと膝をのり出して質問してきた。
 わかれる前、マッカーサーは近衛の顔をみながら、いかにも力をこめていった。
「公爵は封建勢力の出身であるがコスモポリタンで世界のことにあかるい。そして歳も若い。敢然、陣頭に立って下さい。公爵がもし憲法改正を天下に提案されるならば、議会もこれについてゆくだろう」

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