礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

源頼義、集めてきた戦死者の片耳を埋める

2015-12-20 08:30:17 | コラムと名言

◎源頼義、集めてきた戦死者の片耳を埋める

「藤子不二雄」というのは、かつて、マンガ家の藤本弘氏(のちのペンネーム 藤子・F・不二雄)と、同じくマンガ家の安孫子素雄氏( 藤子不二雄Ⓐ)が使用していた共同ペンネームである。おふたりは、先輩のマンガ家・手塚治虫にあこがれ、「足塚治虫」、あるいは「足塚不二雄」というペンネームを名乗った時期があるという(手塚氏の足元にも及ばないという意味をこめて)。
「足塚」という苗字が実在するか否かは知らないが、「足塚」という言葉はある。それは、死者の足を葬った「塚」のことである。同様に、「首塚」、「胴塚」、「耳塚」といった言葉もある。いずれも死者(戦死者や刑死者)の首や胴や耳を葬った塚である。 
 本年一一月、民俗史家の室井康成〈ムロイ・コウセイ〉氏が、『首塚・胴塚・千人塚』(洋泉社)という本を出された。実に興味深い本である。読みながら、読み終えるのがモッタイナイと思えるような本には、めったに出会えないが、この本は、そうした魅力のある本である。本日の東京新聞に、同書の拙評を載せていただいたが、この本の面白さを、十分に表現できなかった点があるので、ここで補足させていただく次第である。
 同書の書評を書いたのは、一か月ほど前だが、その後、たまたま、笠原一男編著の『近世往生伝の世界』(教育社歴史新書、一九七八)という本を読んだ。その序章「往生伝の世界」(笠原一男執筆)に、源頼義〈ミナモト・ノ・ヨリヨシ〉の話が出てきた。
 源頼義といえば、前九年の役〈ゼンクネンノエキ〉(一〇五一~一〇六二)を戦った源氏の猛将として知られるが、彼は、戦死した敵兵の片耳を持ち帰り、干して保存するということを続けていた。
 晩年にいたって、これまでの罪障を深く悔いて浄土信仰に帰依した。河内の通法寺に、等身の阿弥陀仏を安置した御堂〈ミドウ〉を建て、ここに箱ふたつ分の片耳を埋めて供養したという。その後、多年にわたって念仏し、最後には出家した(出典は、『続本朝往生伝』という)。
 室井氏の本を読んでいなかったら、読み飛ばしてしまった記述である。河内の通法寺は、現在、羽曳野市壷井に、山門と鐘楼などのみを残している(明治初年の廃仏毀釈運動で廃寺になったという)。しかし、御堂(阿弥陀堂)があった場所は、特定できるのではないだろうか。そして、こんなことを考えた。頼義が、大量の片耳を埋めた場所が、もし寺院の境内でなかったら、その場所は「耳塚」と呼ばれ、地元の住民によって供養され続けて、今日にいたったのではないか。

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