礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

鉄道開業式当日の新橋ステーション入場券

2015-10-15 04:11:38 | コラムと名言

◎鉄道開業式当日の新橋ステーション入場券

 昨日一〇月一四日は、「鉄道記念日」であった。鉄道開業の日に、新橋駅でおこなわれた「開業式」について書いた文章を、むかし、どこかで読んだことがあった。
 おぼろげな記憶をたよりに書棚を探し、ようやく見つけたのが、野村兼太郎著『維新前後』(日本評論社、一九四一)である。その末尾に、「鉄道開業式入場券」という文章が載っている。その「入場券」なるものの写真も載っていた。
 以下に、その文章を紹介する(二六五~二六七ページ)。「入場券」は、その文面を再現してみた。原文はタテ書き、改行は、原文のまま。
 
 三 鉄道開業式入場券
 明治五年九月十二日〔一九七二年一〇月一四日〕に新橋横浜間の鉄道開業式が挙行され、明治大帝には臨御あらせられた。「日本鉄道史」の記すところに依れば、
「還幸御大臣、参議、各国公使、高等官等延遼館ニ至リ祝宴ヲ挙ク、是日停車場地内ニ桟棚ヲ架シ、鉄道寮ノ印票ヲ携フルモノノ登棚ヲ許ス、又浜離宮ノ園庭ニ諸芸人ヲ集メ官員衆庶ノ観楽ニ供シ、横浜行幸ノ間ハ新橋停車場地内ニ於テ煙火ヲ掲ケ軽気球ヲ放チ又夜ニ入リテハ鉄道館及浜離宮ニ賀灯ヲ点シ離宮前ノ海面ニ於テハ煙火ノ戯アリ、横浜ニ於テモ桟棚、賀灯、煙火等総テ新橋ニ同シ、尚ホ是日東京横浜商人中へ酒肴ヲ賜ヘリ」(上刊六六頁)
 第二十図は即ち鉄道寮印票である。始めは九月九日に挙行の筈であつたのが、雨天のために十二日に延引されたのである。従って印票は九月九日付になつてゐるのである。
 当日の勅語を始め、各国公使総代、外国商人頭取総代、横浜商人頭取総代原善三郎、百官総代三条〔実美〕太政大臣、東京商人頭取総代三井八郎右衛門その他の祝辞は何れも上記の「日本鉄道史」に掲げてある。当日東京人民惣代を東京府布告第六百一号に依れば、三井八郎右衛門、三野村利左衛門、行岡庄兵衛、鹿嶋清兵衛、榎本六兵衛、西村七右衛門、藤田東四郎、岡田平馬となつてゐる。図の裏面の文句の如きはよく当時の状況を忍ぶことが出来るであらう。

第二十図A 鉄道開業式入場券表面
幸臨鉄道開業縦
 観ノタメ当日
 朝八字ヨリ新
 橋ステーシヨン
 内桟舗ヘ入ル
 ヲ許ス
九月九日 鉄 道 寮  印

第二十図B (鉄道開業式入場券)裏面
一 第九字
  御出門
一 第十字新橋
  御発車
一 第一字
  御帰車
一 横浜
  行幸ノ間ステーシヨン構
  内ニテ烟火ヲ揚ケ軽気球
ヲ飛ス
一 第二字
  御帰輦後浜御殿ノ園庭ニ
  入処々ニ集メアル諸芸ヲ
  観ルヲ許ス充飢ノタメ此
  切手ト引換ニ赤飯ノ折ヲ
  与フ
  夜同所ノ海面ニテ烟火ノ
  戯レアリ

 野村兼太郎は、「入場券」と呼んでいるが、一種の「許可証」である。開業式当日、これを提示すると、鉄道新橋ステーションに入構でき、芸能、花火などのアトラクションを楽しめる。赤飯の折詰の「引換券」にもなっていた。
 おそらく、ここにあるのものは「衆庶」向けであって、開業式に列席できる者、汽車で新橋駅・横浜駅間を往復できる者に対しては、これとは別の「招待状」や「乗車券」が送付されていたのではないかと推察する。

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