礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国民的支持のない外交は通用しない

2016-09-15 04:38:30 | コラムと名言

◎国民的支持のない外交は通用しない

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「小磯内閣の対ソ工作」の節の、最後の部分を紹介したい(九~一〇ページ)。

 以上を要するに、東條内閣にせよ、小磯内閣にせよ、決して手を打たなかつたのではない。またやみくもに強気一点張りで、何ら戦局の現実を見ることなく世界の働きをも無視して徹底抗戦の一本調子で来たのでもない。彼らは彼らなりに相当の苦心を払つて、外交的にも手を打たうとしたのであつた。
 ただ、彼らの手は国民の耳目から完全に切り離されたところで、或る場合には閣僚にすら秘められたままで、極く一部の人々の手により恰かも陰謀でもあるかの如くにして打たれんとしただけである。国民に対しては、どこまでも強気一本の「戦局理解」を強ひつつ、何事も教へずまた論じさせず、ただひたむきな絶望的戦争努力にこれを駆り立て、その裏面〈リメン〉では政府と軍の最高首脳者の、そのまた極く一部だけが、あれかこれかと日夜寝もやらぬくらゐに心魂を傾け、「国を憂ひ民を想うて」秘策を練つてゐたのである。
 われわれ国民としては、勿論これらの人々の真心を寸毫〈スンゴウ〉も疑ク疑つてはゐない。またそれらの苦心をむげに非難してもならないであらう。だが、「国民的支持のない外交はもはや絶対に通用しない」ところまで、今日の世界、少くとも曽ての日、独、伊三国を除いた他の世界の大部分は来てゐたのだといふことを、これらの人々にいはねばならないし、今後政府の当路たるべき人々に聞いておいてもらはねばならないと思ふのである。
 何者か「大物」を送れば、その人物の個人的力量と手腕とで「白も或ひは黒になるかも知れない」といふやうな大時代的な、恰かもビスマークかラスプーチン時代のやうな古ぼけた、陰謀臭い考へ方は、今後の日本外交からは完全に一掃されなければならない。しかもそれが、国民も爾余の世界も一切知らぬ間に、闇夜忍者のごとき状態で国際外交といふ煌々たる檜舞台を「人知れず横行濶步」できると考へるやうな嗤ふ〈ワラウ〉べく憐れむべき頭で、国民死活の重大問題を自分一人の責任において「日夜苦悶する」やうな狂気じみた真似〈マネ〉は絶対に繰り返されてはならない。
 国民の声が姦しくて〈ヤカマシクテ〉成立すべき談判も成立しないといふことが、過去において屡々これら事大主義秘密外交家たちの唯一無二〈ユイイツムニ〉の隠れ蓑として用ゐられて来たが、国民の声に妨げられて成立し得ない程度の談判なら成立しなくても結構である。明治初期の歴代外相が殆ど生命〈イノチ〉がけで事に当り、何度か内閣自体の生命とりにまでなつた条約改正こそが、多少の弊害は勿論避けられなかつたとはいへ、国民外交の好個の例である。
 国民の批判の前に例れるのではなしに、閣内にセおける正体不明のごたごたによつて倒れるのを常とした近代日本内閣の、しかも極く一部官僚のみよつて哺まれる〈ハグクマレル〉いはば隠密外交などに調子よく乗つて来る「文明国」は二十世紀の今日、世界に殆どあるべきいはれがない。もし偶然さうしたことが過去において何度かあり得たとするならば、それは常に対手国にとつてその交渉が極めて有利なものである場合、即ちわが国にとつて常に極めて高価なものにつく場合に限られてゐるのである。

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