礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ザカリアス大佐、日本語で対日放送

2016-09-16 01:58:46 | コラムと名言

◎ザカリアス大佐、日本語で対日放送

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「鈴木内閣の対ソ三政策決定」の節の、初めの部分を紹介したい(一〇~一一ページ)。

 鈴木内閣の対ソ三政策決定
 鈴木内閣の成立と同時に、敵側殊にアメリカにおける一種の和平攻勢が頓に〈トミニ〉活潑化したことは、見逃すことのできない重要な特徴であつた。
 まづ、敵側言論機関は、鈴木内閣を目して和平内閣ではないかとの疑問を執拗に練り返し論じた。それには勿論当時の客観情勢が日本にとつて著しく不利で、日本としては当然ここらで何らかの和乎の手を打つほかはなからうと、大方の観測者たちの眼には映じてゐたといふ理由もあつたが、更に鈴木首相の経歴、人柄、その出馬の経緯等にもまた、かうした疑念を当然とする根拠が少からず見出された。
 加ふるに、上述のごときわが対ソ連・対重慶工作が、いつとはなしに敵国側にも洩れてゐただらうことも想像しで誤りのないところである。大東亜戦争開戦当時の外相であつた東郷重徳氏の外相就任によつて一時下火になつたこれらの鈴木内閣評は、組閣後日を経るに従つて却つて勢〈イキオイ〉をもり返して来て、それは殆ど彼らの確信に近いものにまでなつたかの観を呈した。かうした事実を知らずにゐたのは依然として日本国民のみであつたのだ。
 後には単に言論・報道機関だけでなしに、アメリカ政府の要人たちも間接・直接の対日和平攻勢を開始した。トルーマン大統領が六月「無条件降伏の要求は日本民族の抹殺乃至は奴隸化を意味するものではない」とて、無条件降伏の内容についてはじめて公式の――漠然たるものではあつたが――定義を与へたのをきつかけに、アメリカ議会方面でもこの議論は有力議員間の真剣な議題となつて来た。また、アメリカ放送は「アメリカ政府代理人」といふ正式な資格を与へて元駐日海軍武官ザカリアス大佐をして日本語による対日放送を連続的に行はしめ、日本としては無条件降伏以外に活路は残されてゐないことの説得に努めさせはじめた。
 もつとも、日本政府による和平打診の説は、これまでにも時折り中立国筋から流布されたことがないでもなかつた。殊にスウエーデンの首都ストツクホルムは常にこれら流言の発源地となつてゐたのである。だが、今度の鈴木内閣に関するものは従来のこれらの流説に比べれば遥かに確実な根拠を有するものであつた。【以下、次回】

*都合により、数日間、ブログをお休みします。

*このブログの人気記事(なぜかジラード事件にアクセスが……)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国民的支持のない外交は通用... | トップ | このブログの人気記事(20... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事