礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「日本われぼめ症候群」について

2015-02-19 08:28:27 | コラムと名言

◎「日本われぼめ症候群」について

 今月一四日の日本経済新聞「大機小機」欄に載った「日本われぼめ症候群」という記事を読み、久しぶりに同紙の知性を感じることができた。
 最初の方を引用してみよう。

 雪の日、中宮の定子が「香炉峰(こうろほう)の雪は?」と問うた。即座に白居易の詩をなぞり御簾(みす)をあげさせたら、中宮は破顔、同僚の女房らは感嘆しきり。枕草子には作者である清少納言の「われぼめ」エピソードが多い。
「日本のわれぼめ」と呼べそうなテレビ番組が増えた。いずれも外国人の手を借りるのがミソで「世界が驚いたニッポン! スゴ~イデスネ!!視察団」「YOUは何しに日本へ?」などなど。
 番組のホームページの能書きに「外国人の視点だからこそ、さらに浮き彫りになる日本のスゴさ」(視察団)「彼ら外国人の目を通し見えて来るのは…今まで気付かなかった日本の素晴らしさ」(YOU)とある。
 本屋にも、「住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち」などと外国人が鼻白みそうな題の、われぼめ本が並ぶ。
「われぼめ症候群」ともいうべき現象は、いわゆる〝自虐メディア〟へのバッシングと通底するところがありそうだ。【以下略】
 
 このあと、コラム子(手毬さん)は、今後の阿倍政権が「自尊」へ向かってゆく可能性を示唆し、これに警鐘を鳴らしている。こういうところに、私は、日経新聞の知性を感じるとるのである。
 ただし、テレビの「われぼめ番組」による日本再評価と、近年とみに目立ってきた「自尊」的歴史認識とを、同一に論ずることについては、いささか疑問がある。前者は、日本人の「文化・伝統」に関わる問題であり、後者は日本の近代国家が選択した「政治・経済・外交」に関わる問題である。
 最近の、テレビの「われぼめ番組」を見ていると、今日の日本人が、「われぼめ」の対象を、近代における「政治・経済・外交」から、日本人の「文化・伝統」へとシフトしようとしているように思えてならない。しかも、その際、「外国人の眼」というものを援用する。
 これはこれで、よいことなのではないか。少なくとも、「日本人の眼」だけに頼った、自尊的歴史認識よりは。――ちなみに、そうした自尊的歴史認識を盛った「われぼめ本」は、いま、次々と量産され、本屋の店頭に、うず高く積まれている。問題すべきは、むしろこちらのほうであろう。

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