礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

学的論争も政治的闘争の反映(鈴木安蔵)

2024-04-11 02:30:12 | コラムと名言

◎学的論争も政治的闘争の反映(鈴木安蔵)

 鈴木安蔵著『明治憲法と新憲法』(世界書院、1947)の第二章から第二節「天皇機関説論争の経緯」を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
「天皇機関説論争の経緯」は、「一」から「四」までの四節からなるが、本日は、そのうちの「三」と「四」を紹介する。

        
 上杉博士の国民の法理的説明、議会観も、ほゞ推祭し得よう。すなはち「国家に属する各人は主権に服従するに由つて其本性を完全に発展することが出来るのであります。主権に絶対的に服従するのは人類が其本性を発展し、最高の道德に到達する唯一の要件であります」「人の人たる所以の本性を発展するは唯だ臣民たるに由るのであります(「述義」二七八頁)」といふのが国民観であり、「人若し天賦の自由を有すると致しますれば、主権に服従し国家を成し臣民大る性格を生ずるに由りてのみ遺憾なく之を達することが出来ます」(同上)といふのが,博士の自由権論である。また、「我が国の国会は国民の代表者でもなく天皇を制限するものでもない事は、今更一々説明しなくともお分りであらうと思ふ、我が国会制度の趣旨には、国民の代表者を集めて、国会に依つて天皇を制限せしむるといふ趣旨は毫も〈ゴウモ〉ない」「天皇は自分の任命した官吏、又は世襲の官吏に依つてせらるゝよりも、選挙の方法に依つて適当なる人材を得る方が天皇が政務を行はるゝ上に於て便利であると認められて国会制度を置かれたのであつて、国会が無ければ国の国たる所以を保つ事は出来ぬといふ趣旨では決してない」議会は「天皇自ら自己の考へに依つて設けられたものであつて、天皇が政務を行はるゝ為めに使用せらるゝ所の機関である、事務所である」(三一三~三一四頁)。議会は美濃部博士の主張するごとく、国家の直接機関として、憲法によつて独立的の権限を与へられてゐるものでも、国民の代表機関でもなく、実に天皇の官府であるといふのが、上杉博士の議会観である。
 かゝる上杉博士の所説は、一定の歴史上の時期の統治関係を反映し、それを理論的に要約せるものであり、立憲政治時代の統治関係に照応する立憲主義的学説を樹立した美濃部博士が、当時「是等が健全なる立憲思想に反するものであることは言ふ迄もない」と論評したゆゑんである。

        
 美濃部博士は、当時明治大正の交における國體論の勃興について、それは「立憲政治に対する反動思想」「唯立憲思想の普及を抑圧せんが為めの」ものである(「時事憲法問題批判」四~五頁)と言つたが、実に、当時の美濃部対上杉の憲法論争は、現実に進行しつゝあつたブルヂョア政党政治、議会主義の勢力と官僚的旧勢力との政治的抗争――いはゆる大正政変史・憲政擁護運動の展開――を背景とせるもので、美濃部博士の憲法論は、もちろん我が國體の尊厳を賛美するものであり、博士自身常に真剣に、その忠君愛国の情を述べてゐるのであるが、他方、その反封建的反旧勢力的立憲主義、「イギリス的」立憲君主義によつて、かゝる政治闘争における進歩的勢力の一導星となり拍車となつたのである。君主唯一人の意思のみが国家意思となるといふ君主主権説的國體論を批判して、直接的独立機関たる議会を通しての国民の意思も、ひとしく国家の意思決定に参与するとの主張を明らかにし法理的には内閣総理大臣は天皇の御信任によつて任免されるが「政治的には」議会における信不信が、その規準となると論断し、大臣の責任は議会に対するものであり、立憲政治は責任政治である以上、一切の国務大臣の輔弼〈ホヒツ〉行為による国家意思の発動については、国民が批評論難の自由を有すと説き、いはゆる大権事項に対する議会の協賛干渉も不可なることなしとする法治主義、枢密院持続院の改革を熱論し、軍令軍政の俊別を力説する立憲主義を宣明する等々、美濃部博士の国家法人説、君主機関説は、以上のごときより具体的な諸命題とともに、その根柢に潜む反官僚主義のゆゑに、当時一部の人々によつて國體無視、朝憲紊乱〈ショウケンビンラン〉のごとく非難されたのである。しかし当時の論争において全体的空気は著しく美濃部博士の側に有利であつたこと、論争は、主として学界論壇の内部において、ともかくもなほ学術的論争として戦はされたことは想起に値しよう。
 学的論争、理論闘争も、つねに一つの政治性を有する。かゝる論争自身、遠かれ近かれ、現実の政治的闘争の反映であり、要約である。理論的論争そのものが、何らかの政治的理由、事情に刺衝〈シショウ〉されて展開されるのをつねとする。明治大正の交における政治関係と今日おける政治関係――その相違が、同じ天皇機関説是非に関する論争の形態の差、論戦内容の差、論拠の差、そしてその運命、結末の差を決定する。
       ――昭和十年四月「改造」――

今日の名言 2024・4・11

◎学的論争、理論闘争も、つねに一つの政治性を有する

 鈴木安蔵の言葉。上記コラム参照。『明治憲法と新憲法』(1947)の88ページに出てくる。初出は1935年と思われるが未確認。鈴木安蔵(すずき・やすぞう、1904~1983)は、憲法学者、静岡大学名誉教授。

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