礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

天皇亡ぶれば国家亡ぶる(上杉慎吉)

2024-04-10 00:43:33 | コラムと名言

◎天皇亡ぶれば国家亡ぶる(上杉慎吉)

 鈴木安蔵著『明治憲法と新憲法』(世界書院、1947)の第二章から第二節「天皇機関説論争の経緯」を紹介している。本日は、その五回目。
「天皇機関説論争の経緯」は、「一」から「四」までの四節からなるが、そのうちの「二」を紹介している。「二」の紹介としては、今回が四回目(最後)。

 上杉博士は、この論争の後に公刊された「帝国憲法述義」にいたつて、その知信合一の宗教的熱情を一層熾烈〈シレツ〉に発露せしめてゐる。例へば天皇即国家の説明について、さきに引用中せる「講義」のそれと、以下のそれとを比較すれば、博士の学説が、かゝる意味で更らに純化せることを知り得るであらう。
 「独逸諸国に於て学者が其国の君主の地位を説明して申しまするが如く、統治権の主体たる国家と云へる実在又は抽象の人格の機関であつて其意思を国家の意思とする地泣に在るものではありませぬ。
 「統治権は天皇の権力であつて、統治権の目的は全部天皇の目的であります。此意味を示すが為に天皇即国家なりと申すことが出来ます。
 「国家は租税を取立てる、国家は裁判を行ふ、国家は人民を保護すると申しますれば、我国に於て国家と云ふのは天皇の意味である、天皇が租税を取立てられ人民を保護せらるゝのであります。国家の為に尽すと言へば天皇の為に御奉公申上げることである、国家の軍人国家の官吏と云ふのは天皇の股肱〈ココウ〉たる軍人、天皇の御用を勤むる官吏の意味であります、国を愛すると云ふことゝ君に忠と云ふことは一致して難れざるのが我國體の精華であつて、国家の生命は天皇と終始して離れない、天皇亡ぶれば国家亡ぶるのである、此種々の意味を天皇即ち国家であると一言に申すのであります。
 「天皇を主権の主体と見奉り、天皇が統治の目的の全部の負担者たることを知らなければ忠孝一致又は忠が諸徳の本たる所以を明〈アキラカ〉にすることは出来ぬのであります、同様の意味に於て我国に於ては忠君と愛国とは合一して離れざるものであります。
 「此の如き関係は国家法人説の如き思想に於ては、到底説明することが出来ぬのであります」(「述義」二三五~二四一頁)。
 穂積八束博士において、すでに旧プロシャ、ドイツの諸国法学説から分離し、これらを伝統的国学の教義に基いて取捨しつゝ自己の基礎に据ゑた日本精神的憲法学説は、純ドイツ的立憲主義――外見的立憲主義ならびに、それからイギリス的立憲主義への過渡――の学理的反映を多かれ少なかれ其侭〈ソノママ〉継承・輸入した有賀長雄〈アリガ・ナガオ〉博士、一木喜徳郎〈イチキ・キトクロウ〉博士、あるひは副島義一〈ソエジマ・ギイチ〉博士ら君主機関説との対立・論争のうちに生育して来たが、なほ、国家団体説、国家家法人説、国家主権説を根柢的に放棄することは出来なかつた。否敢てしなかつた。けだし、当時の憲法学的水準では、それ以上に科学的な、所説を発見し得なかつたほど、国家法人説は、我が憲法学の母国たるドイツ学界においても定説化してゐたのであつた。
しかるに上杉博士にいたつて、これを大胆に論難し全的に放棄することによつで、日本主義的憲法学は一段の飛躍を遂げた。と同時に、それは従来のそれと異質的のものに転化する一歩を踏み出したのである。*

 *当時刊行された一文献を見よ。上杉博士の天皇即国家観が更に純一な形で述べられてゐる。
 「国土君主民人の三要素ありて始めて国を為す、然るに君主は即ち国家なりと謂ふの理は如何是れ衆人の疑ふ所なり。国家は君主人民及ぴ国土の三者より成立す、と謂ふは其の形を謂ふなり。日本国土と天皇と臣民と三者三体なるは有形上の実相なり。国家は三者の渾然融合したる無形物なり。国家は死物に非ざるが故に意思あり。其の意思を国権と云ふ。或は主権と云ひ又は統治権者と謂ふ、畢竟皆同じ。国権の化身を君主と謂ふ。(中略)日本は純粋君主國體なるが故に、君主即ち天皇は国権の化身なり。是れ天皇即ち国家なる所以なり。
 「君主と民人とは渾然融合して自ら〈オノズカラ〉一体をなす。之を名つけて国家と云ふ、即ち君主なり。其の渾然たる一体を取りて、民人即ち国家と呼ばずして、君主即国家と呼ぶものは之を指導統制する者、人民に非ずして君主なればなり。」(加藤房蔵「國體擁護日本憲政本論」六七~七三頁大正二年三月五日刊) 

 今議会〔第67回帝国議会〕において、「美濃部博士の所説中天皇は超個性の御尊体であり現人神である点には一言も触れて居らぬ、かゝる國體観を岡田〔啓介〕首相は認めらるゝか」と井上〔清純〕男爵は難詰し(「東朝」三月九日)、山本悌二郎〈テイジロウ〉氏もまた「天皇は万世不易の統治主体統治主権者で而して吾々臣民は過去におけると同じく将来万世に亘りて子々孫々天皇統治の下に国家生活を継続するものである、随つて天皇は国家の主体であらせられ吾々国民は国家の客体であつてこの主客両体は堅く相結んで分離すべからざる関係に置かれてある、即ち我日本の国家はこの主客両体の絶対的不分不離の結合によつて存在するものであつて天皇と申す主体を別にして日本の国家は絶対に考へ得られない、世間通俗にいふところの天皇即ち国家とは即ちこれを意味するのである、随つて天皇の休戚は天皇の利害休戚である」と論じたが(「読売」三月十二日夕刊)。けだし、以上のごとき日本主義的憲法学説現在の状態を語る一資料である。

 ここまでが、「二」である。

*このブログの人気記事 2024・4・10(8位の三文字正平は久しぶり、9・10位に珍しいものが)

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