礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山折・新田論争における争点のひとつは「国家神道」

2015-02-09 06:46:51 | コラムと名言

◎山折・新田論争における争点のひとつは「国家神道」

 昨日の続きである。新田均氏は、『先生、もっと勉強しなさい!』(国書刊行会、二〇〇二)所収の「山折哲雄先生、不勉強ですゾ!(1)」の中で、山折哲雄氏の論文が、「近代神道史の無視」、「歴史そのものの無視」、「神話の基本線の無視」という三つの無視を犯していると指摘した。
 同論文の「一、近代神道史の無視」の節で、新田氏は、次のような指摘をおこなっている。

 十五年くらい前までは、専門家の間でも近代日本の国家と宗教との関係を「国家神道」という言葉で表現するするのが一般的で、村上重良氏の定義にしたがって、それは皇室神道と神社神道とを合体して創られた「国家神道」が、教派神道・仏教・キリスト教の上に君臨していた万邦無比の国教体制だったと理解されていた。ところが、その後、実証的な研究が進むにつれて、このような理解が疑われはじめ、実は当時欧州で一般的だった信教の自由を認めた上で特定の宗教に特権を与えるという公認教制度の一種に過ぎなかったのではないかという理解が次第に有力になりつつある。
 ただし、この理解の仕方も提言といった段階にとどまっており、多くの研究者の賛同を得るような確固たる学説はまだ存在しないというのが最先端の研究状況なのである。
 なお、ここで一つだけ申し上げておきたいことがある。それは、明治日本が「宗教」に関して直面した状況は極めて困難なものであったということである。それまで日本に存在しなかった「宗教」という新しい概念を早急に理解し、理解するだけでなくそれを政策に反映しなければならなかった。これだけでも困難な仕事なのに、欧米諸国が一九六〇年代以降になってようやく直面することになった課題に対しても、近代化への出発時点で取り組まなければならなかった。すなわち、キリスト教という「新たに進出してきた伝統宗教への対応」と江戸時代後期以降に発生した「新宗教への対応」である。欧米諸国が、イスラム教という新たな伝統宗教の進出と、「セクト」あるいは「カルト」と呼ばれる様々な新宗教の出現という現象に直面して、信教の自由や政教分離の原則に対する再検討を迫られるようになったのは極最近のことなのである。
 このような背景を考慮することなく「明治国家の過ち」などど簡単に断ずるのは、〝歴史的センスに欠ける″としか言いようがない。

 以下、新田氏の論旨を、順次、紹介してゆくことはしないが、新田論文は、基本的に、学問的な立場から、山折論文の不備を指摘しようとしたものだということが言える。
 ところが、山折哲雄氏は、この新田氏からの批判を、学問的な批判としてというより、イデオロギー的な批判として受け取ったようなのである。【この話、さらに続く】

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