礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

死なねばならぬ理由が今一つある(東条英機)

2015-06-10 04:43:54 | コラムと名言

◎死なねばならぬ理由が今一つある(東条英機)

 清瀬一郎の『秘録東京裁判』を、中公文庫版(一九八六)によって紹介している。その二番目の章は、「東条自決」と題されている。そこで清瀬は、東条英機陸軍大将の自殺未遂事件について、自分が知りえた事実を披露している。
 いま、ウィキペディア「東條英機自殺未遂事件」の項を参照すると、かなり詳しい記述があり、依拠したと思われる参考文献が挙げられいるが、その参考文献に、清瀬一郎の『秘録東京裁判』は、含まれていない。
 ということであれば、ここで紹介しておくのも無駄ではないだろう。

 東 条 自 決
 周到な用意と失敗
 昭和二十年九月十一日、東条大将が自殺しそこない、大森の戦犯収容所〔のちに「平和島」と呼ばれた埋立地にあった〕へ収容されたという報道があった。そのころ東条は日本一の不評判な人であったことも手伝って、新聞などには誹謗的な記事が満載された。いやしくも、陸軍大将ともあろう者が自殺できぬはずがない、これはわざとそっぽを撃って自決したようなまねをして、実際は助かろうとしたのであろう、軍人でもやはり命が惜しいんだなあ、というような記事であった。しかし、真相はそんなことではない。
 私はそのころはまだ東条大将の弁護人にはなっていないから、以下の記事は東条大将と懇意な弁護士で、後には一時私と共に東条大将の共同弁護士になった塩原時三郎〈シオバラ・トキサブロウ〉君から聞いたことが骨子であり、時の陸軍大臣下村定〈シモムラ・サダム〉氏より伝えられたところにより、これを訂正したものである。
 東条大将の家は、東京都世田谷区玉川の用賀〈ヨウガ〉というところにあった。昭和二十年九月ごろから、戦犯の呼び出しが始まった。そこで法廷にでることをいさぎよしとしない人は、順次自殺していった。東条大将もむろん自決するだろうということは、だれもが想像するところであった。
 下村定氏は東条自決決意のことを聞いたので、九月十日同氏に陸軍省への来庁を求め、約一時間にわたって翻意を要望したが、東条大将は「自分は皇室および国民に対して最も重大な責任がある。このおわびは死をもってするほかはない。国際裁判のためには詳細な供述書を作り、目下清書中であるから、自ら法廷に立つ必要はない」と言って、なかなか承知しないので、下村氏は、さらに「供述書は出されても、審理の経過中、戦争責任の問題が鋭く追及され、そのため万一、陛下にご迷惑をおよぼすごときことが起こっては申しわけないではありませんか」と話されたところ、東条氏は「それは一応もっともだ。しかし自分は死なねばならぬ理由が今一つある。戦争中に自分が公布した戦陣訓中の一句――俘虜〈フリョ〉の辱め〈ハズカシメ〉を受くるよりも死をえらべ――を自ら破ることはできない」と主張されるので、下村氏は「戦場で軍人がおのれの意志で俘虜になる場合と、国の決定に従って国家が降伏した場合とは事が違うと思う。またアメリカが容疑者を辱めるような行為をするとは思われない」と反論した。このとき東条大将は「考え直す」といわれ、下村氏はこのとき閣議で呼びに来たので、再会を約して二人はわかれたのであった(以上は昭和四十一年六月十一日、下村元大将の口演による)。(注=戦陣訓第八章にはつぎのごとくある。「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々〈イヨイヨ〉奮励してその期待に答ふべし。生きて虜囚〈リョシュウ〉の辱〈ハズカシメ〉を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」)
 自決する場合は、頭でも射とおすのが一番確実だが、しかし連合軍は遺体を写真にとったり、みにくい姿を世間に示すであろうからやはりりっぱに死ななければならない。向かいに住んでいた鈴木医学博士に相談して心臓を撃つこととし、心臓の所を墨でしるしをしてもらった。ピストルは古賀〔秀正〕少佐(東条の女婿)が、これより先、八月十五日に玉音放送をきいて自殺した時に使った軍用銃で、当日東条はこれをからだにつけていた。【次回に続く】

 清瀬のこの文章は、初出(読売新聞連載、一九六六)の段階で、敗戦直後に陸軍大臣を務めた下村定から、事実誤認の指摘があり、それによって訂正がなされているという(同書「後記」)。引用文中に、「時の陸軍大臣下村定氏より伝えられたところにより、これを訂正した」とあるのは、そのことを指している。

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