礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東条英機「自殺決心時の遺言」の真偽

2015-06-11 07:25:01 | コラムと名言

◎東条英機「自殺決心時の遺言」の真偽

 清瀬一郎の『秘録東京裁判』(中公文庫、一九八六)から、「東条自決」の章を紹介している。本日は、その三回目(最後)で、「自殺決心時の遺言」の節を紹介する。

 自殺決心時の遺言
 本物語りの後半に、私は「かえらぬ遺言」として東条元大将が処刑の数時間前に花山〔信勝〕師に公事に関する遺言だとして提示された遺書があったこと、花山師は、あるいは検閲にひっかかるかもしれぬからと思い、東条にゆっくり読んでもらって、これを摘記し、同日午後私〔清瀬一郎〕に告げたものがあること、並びにその内容を私ができるだけ正確にしたためたものを紹介するが、福岡県に住んでおられる人で、自分は〔自殺決心時の〕東条遺言の複写を持っていると通信せられた。
 私はその人にどうかお持ちの遺言写しなるものを見せて下さい、大切なものであるから、一見のうえ直ちにお返しすると申し一込んだ。これを諾して送られた書は次のごとくである。
《東条英機ノ遺書
 英米諸国人ニ告グ
 今ヤ諸君ハ勝者タリ、我邦ハ敗者タリ。此ノ深刻ナル事実ハ余固ヨリ之ヲ認ムルニ吝〈やぶさか〉ナラズ。然レドモ諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。余ハ今茲ニ諸君ニ向テ〈むかって〉ソノ事実ヲ歴挙スルニ遑〈いとま〉アラズ。然レドモ諸君若シ虚心坦懐公平ナル眼孔使ヲ以テ、最近ノ歴史的推移ヲ観察セバ、思半ニ〈おもいなかばに〉過グルモノアラン。我等ハ只ダ徴力ノ為ニ正理公道ヲ蹂躙セラルルニ到リタルヲ痛嘆スルノミ。如何ニ戦争ハ手段ヲ択マズ〈えらまず〉ト言フモ、原子爆弾ヲ使用シテ、無辜〈むこ〉ノ老若男女ヲ幾万若クハ十幾万ヲ一時ニ鏖殺〈おうさつ〉スルヲ敢テスルガ如キニ至リテハ、余リニモ暴逆非道ト謂ハザルヲ得ズ。
 若シ這般〈しゃはん〉ノ挙ニシテ底止スル所ナクンバ、世界ハ更ニ第三第四第五等ノ世界戦争ヲ惹起〈じゃっき〉、人類ヲ絶滅スルニ到ラザレバ止マザル〈やまざる〉ベシ。
 諸君須ラク〈すべからく〉一大猛省シ、自ラ顧ミテ天地ノ大道ニ対シ愧ル〈はずる〉所ナキヲ努メヨ。
 日本同胞国民諸君
 今ハ只ダ承詔必謹アルノミ。不肖〔東条〕復タ〈また〉何ヲカ謂ハン。
 但ダ〈ただ〉、大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ム〈やむ〉ヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎〈へいこ〉トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ〈すなわち〉彼国人〈かのこくじん〉中ニモ亦タ往々斯ク〈かく〉明言スルモノアリ。不幸我ハ力足ラズシテ彼ニ輸シ〈しゅし〉タルモ、正理公義ハ儼トシテ我ニ存シ、動カス可カラズ。
 力ノ強弱ハ決シテ正邪善悪ノ標準トナス可キモノニアラズ、人多ケレバ天ニ勝ツ、天定レバ人ヲ破ル、是レ天道ノ常則タリ。諸君須ラク大国民ノ襟度ヲ以テ、天定ル日ヲ待タレソコトヲ。日本ハ神国ナリ。永久不滅ノ国家ナり。皇祖皇宗ノ神霊ハ畏クモ〈かしこくも〉照鑑ヲ垂レ玉フ。
 諸君、請フ自暴自棄スルナク、喪神落胆スルナク、皇国ノ運命ヲ確信シ、精進努力ヲ以テ此ノ一大困阨〈こんやく〉ヲ克服シ、以テ天日復明ノ時ヲ待タレソコトヲ。
 日本青年諸君ニ告グ日本青年諸君、各位。
 我ガ日本ハ神国ナリ。国家最後ノ望ハ繋リテ〈かかりて〉一ニ〈いつに〉各位ノ頭上ニアリ。不肖ハ諸君ガ隠忍自重〈いんにんじちょう〉、百折撓マズ〈ひゃくせつたゆまず〉気ヲ養ヒ、胆ヲ練リ、以テ現下ノ時局ニ善処センコトヲ祈リテ熄マズ〈やまず〉。
 抑モ〈そもそも〉皇国ハ不幸ニシテ悲境ノ底ニ陥レリ。然レドモ是レ衆寡強弱ノ問題ニシテ、正義公道ハ始終一貫我ニ存スルコト毫モ〈ごうも〉疑〈うたがい〉ヲ容レズ。
 而シテ幾百万ノ同胞、此ノ戦争ノ為メニ国家ニ殉ジタルモノ、必ラズ永ヘ〈とこしえ〉ニ其ノ英魂毅魄〈えいききはく〉ハ国家ノ鎮護トナラソ。殉国ノ烈士ハ、決シテ徒死セザルナリ。諸君、冀クバ〈ねがわくば〉、大和民族タルノ自信ト衿持〈きょうじ〉トヲ確把シ、日本三千年来、国史ノ指導ニ遵ヒ〈したがい〉、忠勇義烈ナル先輩ノ遺躅〈いちょく〉ヲ追ヒ、以テ皇運ヲ無窮ニ扶翼シ奉ランコトヲ。是レ実ニ不肖ノ最後ノ至願ナリ。惟フニ今後強者ニ跪随シ、世好ニ曲従シ、妄誕ノ邪説ニ阿附雷同スルノ徒、鮮カラザル〈すくなからざる〉ベシ。然ドモ〈しかれども〉、諸君ハ日本男子ノ真骨頂ヲ堅守セヨ。
 真骨頂トハ何ゾ。忠君愛国ノ日本精神是レノミ。 (原文のまま) 》
 私はこの文書につき二か月あまり研究をした。第一に手がかりとなったのは、前記のロバート・ビュトー著『東条英機』上、下二巻である。その下巻二二三ぺージに東条自決の光景を描写し、その終わりに
「ウイルバース(東条家正面玄関のとびらのかぎをこわして進入した中尉)は東条の机上にあった文書と前日の日付けの『最後の声明』を押収した」
 との記事がある。本件文書がそれではあるまいか。ピュトー氏は一九四五年九月十一日、新聞記者として逮捕隊に同行し、自身の見聞により右事実を執筆している。それのみならず、東条将軍のような立場にあった人が、すでに数日前から自殺を決意しているのに、遺書または声明のなきはずがない。
 この見地から研究をつづけたところ、今日、確実な信用すべき人から、それは自決時の遺言に相違ないことを確かめ得た。文意は東条発想のものに相違ないが、文飾は、当時日本言論文筆及び史学界の最長老某氏の添削を経たものであることの証言を得た。この人自身が長老宅と東条宅との間をこの案文を携えて往復している。
 これで終戦より東京裁判にかけての歴史の欠漏〈けつろう〉を補充することができた。

「東条自決」の章は、このあと、さらに「弁護申し出る人がなく」という一項があるが、紹介は割愛する。
 さて、清瀬一郎がここで引用している「東条英機ノ遺書」であるが、これは本物だろうか。清瀬は、「確実な信用すべき人」から、本物であることを確認したと言っている。その信用すべき人とは、「長老宅と東条宅との間をこの案文を携えて往復」した当人であるとも述べている。できれば、その人の名前を明記してほしかったと思う。なお、ここで、「長老」とあるのは、徳富蘇峰のことであろう。
 ウィキペディア「東條英機の遺言」の項によれば、作家の保阪正康氏は、この遺書に疑問を抱いているという。以下、同項からの引用。

 保阪正康は、『東條英機と天皇の時代』(初版1979年)では、徳富蘇峰の添削を経た東條の遺書としている。しかし保阪はのちの著書『昭和良識派の研究』では、東條の口述を受けて筆記したとされる陸軍大佐二人について本人にも直接取材し、この遺書が東條のものではなく、東條が雑談で話したものをまとめ、米国の日本がまた戦前のような国家になるという危惧を「東條」の名を使うことで強めようとしたものではないかと疑問を抱いている。

 私はまだ、保阪氏の『昭和良識派の研究』(光人社FN文庫、一九九七)を読んでいないので、保阪氏が、この「遺書」をニセモノと断言しているかどうかは知らない。
 しかし、私は、これはニセモノと断言してよい文書ではないかと思っている。少なくとも、これは、「長老宅と東条宅との間」を往復して練られたような文章ではない。本日は、一点だけ指摘する。
「遺書」中に、「諸君須ラク一大猛省シ、自ラ顧ミテ天地ノ大道ニ対シ愧ル所ナキヲ努メヨ」という一文がある。この「須ラク」は誤用であって、「総テ」などとすべきであった。もし、「須ラク」を使うのであれば、全体を、「諸君須ラク一大猛省シ、自ラ顧ミテ天地ノ大道ニ対シ愧ル所ナキヲ努ムベシ」とすべきである。こういう誤用がある以上、これは「長老」の添削を経た文章であるはずがない。すなわち、ニセモノと断言すべき文書ではないのか。明日は、いったん、話題を変える。

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