礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

副署ノ行為ハ国務大臣ニ強制スル能ハズ(市村光恵)

2024-05-10 01:17:41 | コラムと名言

◎副署ノ行為ハ国務大臣ニ強制スル能ハズ(市村光恵)

 鈴木安蔵の論文「美濃部博士の憲法学説問題」(初出、『社会評論』1935年4月)を紹介している。本日は、その六回目で、「三」の節の後半を紹介する。

 されば同じく問題となつた議会論でも、反対者の難ずるごときものではなく、「たゞ憲法又は法律に定まつてゐる事柄」例へば「議会が天皇の大命によつて召集せられ又開会、閉会、停会及び衆議院の解散を命ぜられる事」など以外には「憲法の条規に基かずに、天皇が議会に命令したまふことはない」(二月二十五日の博士の前掲演説)という意味で、即ちかゝる特別の規定を除いてといふ意味で「議会は天皇の命令に服するものではない」と主張するのである。しかしながら、「我が憲法には何れの条項に於ても議員が臣民の代表たることを表現しないのみならず、我が国に於ては、天皇即国家であり国家即天皇であり、天皇の意志は即ち国家意志であるが故に、欧米民衆国の如く国家意志を確定するの必要がない。〔中略〕唯だ臣民翼賛の道を広めて民意を天聴に暢達せしむるが為めに議会を設けたるものであつて、議会は法律案、予算案を協賛するを以て足れりとする」(佐藤清勝中将「美濃部博士の日本憲法論批判」一二六~一二七頁)となす論者、議会は、「統治の目的を完全に達する所以である」として設けられた官府であり、「帝国議会は〔中略〕独立固有の存在を有つて居るものでなくして天皇の意思を本として其存在を有して居る」「其の権能も亦一に〈イツニ〉天皇の定る所に依る」(上杉博士「帝国憲法述義」三二〇~三三二頁)となす論者たちにとつては、「帝国議会ハ国民ノ代表機関ナリ」「其ノ権能ニ於テハ議会ハ君主ヨリ其ノ権能ヲ授ケラレル者ニ非ズシテ、直接ニ憲法ニ其ノ権能ノ根拠ヲ有ス」「即チ国家ノ直接機関ニシテ君主ノ機関に非ズ」(「憲法撮要」三四六~三五一頁)とする美濃部博士の立憲主義的所説は、到底容認し得ないのである。
 臣下として詔勅を批判するがごときは、「詔勅を軽視し敢て御尊厳を冒瀆し奉ること」なりとする非難(三月八日貴族院本会議における菊池男爵の演説)も、以上の根本見地における対立の一表現である。理論的には、さきに引用したごとく前回の論争当時、市村博士も他の側面から解決を試みたことである。同博士の「帝国憲法要論」にも、「輔弼ニ付テハ国務大臣ハ天皇ノ意思ニ最終ノ決定ヲ与フル力無シト雖モ副署ハ国務大臣カ憲法第五十五条第二項ニ依リテ与ヘラレタル権限ナルカ故ニ副署ノ行為ハ天皇ノ命令ヲ以テ之ヲ国務大臣ニ強制スル能ハス換言スレハ副署ニ付テハ国務大臣ハ自己ノ独立意思ヲ以テ之ヲ為シ又ハ為ササルコトヲ得ヘシ」(六一五頁)と述べられてある。これまた、詔勅批判の自由を認めたる学説と言うことができる。美濃部博士の所論は、立憲政治の下にあつては、一切の国務について国務大臣が陛下の輔弼に当り、その責に任ずるのであるから、国務に関する詔勅についても国務大臣が責任を負ふべきであり、したがつて詔勅を批判論議するのは、取りも直さず、当該大臣の責任を論ずることであつて、決して天皇に対する不敬を意味するものでないというになる。(「〔逐条〕憲法精義」一一五~一一六頁)
 美濃部博士が、理法や憲法的慣習法を認めることによって、我が帝国憲法の解釈の歪曲を是認するという非難のごときも、要するに、博士の立憲主義的見地、実証的研究方法に対する攻撃である。一つは、制定当時のままの解釈、制定の任にあたった少数官僚の意図せる解釈を、超歴史的に遵守せんとする態度であり、他は、資本制社会の発展に順応し、時代の進迎に則して立憲主義的に憲法を再解釈し運用せんとする態度である。

 佐藤清勝(さとう・きよかつ、1877~?)は、陸軍中将。その著書『美濃部博士の日本憲法論批判』は、1934年(昭和9)4月、東亜事局研究会から刊行された。佐藤清勝には、このほか、『予が観たる日露戦争』(軍事普及会、1931)など、多数の著書がある。

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