礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

詔勅を論難できるとするのは凶逆思想(江藤源九郎)

2024-05-06 04:44:12 | コラムと名言

◎詔勅を論難できるとするのは凶逆思想(江藤源九郎)

 鈴木安蔵の論文「美濃部博士の憲法学説問題」(初出、『社会評論』1935年4月)を紹介している。本日は、その二回目で、「一」の後半を紹介する。

 論点について、衆議院の江藤少将および貴族院の三室戸子爵について見よう。
 一、天皇機関説、天皇の大権について――「天皇は国家を代表して国家の権利を総攬するなどと、恰も株式会社の一社長が会社を代表し一切の切盛りを為すと同視しまして君主々権の仮面を被り乍ら機関説を高調せるこの不都合さ」(三室戸子三月四日貴族院予算総会における演説)
 「法律上の観念として天皇の大権は権利に非ず権能なりと申して居ります。殊更に法律上の観念と断つてある事が非常に破綻を来す弱点であると考へます。吾々は法律上とは申さず、歴史上とは申さず、日本肇国〈チョウコク〉の神勅と悠久三千年伝へ来れる〈キタレル〉所の国民信念、日本民族たる信条は憲法実施の明治二十三年〔1890〕前と後とに於て何の変る所がない筈であります」(同上)
 一、詔勅批判の自由について――「憲法発布以前は詔勅は批議論難する事が出来なかつた、憲法発布以後は国務に関する限り詔勅の責任は国務大臣が帯びる、故に論議されるといふ思想は凶逆思想ではないか」(江藤少将二月二十七日衆議院予算総会における演説)
 一、議会について――「原則として議会は天皇の命に従はぬものである、例外として時には天皇の命に服するとの結論」「即ち十中の八、九は議会は天皇の命に服従せざる権能ありと云ふ事に帰着」(三室戸子前掲演説)
 かくのごとく、論難者の目標は國體擁護であり、憲法解釈上日本精神以外の一切の原理を排除すべしと言ふのであり、この目標達成のために、論理的正否や科学的推理を超越した信仰的論断に依拠してゐるのである。政府当局も、最初は、美濃部博士の國體親念は自分たちと異なつてをらぬ。その憲法学説も、用語上不穏当の点はあるが、字説としては大体間違つてをらぬ。学者の理論としてその存在は許容すべきである、とか、また、議会で憲法字的論争を行ふのは適当でないとか等々、博士を擁護する色彩の強い弁明を繰り返してゐたが、かゝる態度は國體に対して無信念的である、不敬である、臣節を欠くものである等々の意味の非難が強く叫ばれるにいたつて、事柄が國體に関し、君主の神聖至上の大権に関することであるだけに如何ともすることができず、三月四日の貴族院予算総会では、〔岡田啓介〕首相も判然と、「私は天皇機関説を支持する者でもありません、賛成する者でもありません、また先程憲法上の学説をお読みになりました所は私の賛成する所ではありません」と答へて、次第に当初の態度を変へ、反美濃部説的態度を明瞭にするの已むなきにいたつた。
 しかしながら、なほこの程度の首相の声明では不徹底なりとし、反対論者たちは、首相をして「此説は日本に許すべからざるものである」(三室戸子前掲演説)との言明をなさしめ、博士を葬り、博士の主著を禁止せしめんとしてゐるのが現状である。

 江藤源九郎(えとう・げんくろう、1879~1957)は、軍人(陸軍少将)、衆議院議員。
 三室戸敬光(みむろど・ゆきみつ、1873~1956)は、華族(子爵)、貴族院議員。

*このブログの人気記事 2024・5・6(9・10位は、ともに久しぶり、8位に極めて珍しいものが)

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