礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

青年将校側は柳川平助を持ち出した

2024-06-28 02:34:01 | コラムと名言

◎青年将校側は柳川平助を持ち出した

 木下半治『日本国家主義運動史 Ⅱ』第六章「二・二六事件を中心として」第二節「二・二六事件の経緯」のうち、「六 北・西田・真崎」の項の後半部分を紹介している。本日は、その三回目。
 文中の傍点は、下線で代用した。なお、同書Ⅱ巻のページ付けは、Ⅰ巻からの通しになっている。

 この青年将校も、しかし、「……自己の本心はおし隠して、青年将校操り策をとつた者も皆無とは云えない」と嘆いている(九一頁)。すなわち、荒木〔貞夫〕大将が青年将校の圧力で陸相になったり、山下奉文〈トモユキ〉が同じ圧力の下に軍事課長になったりしたのだから、陸軍の「立身出世主義者」が青年将校にニコポルのも無理がないというのである。いわゆる皇道派青年将校に対する大将真崎の煽動が、いかなる意図をもってなされたにせよ、二・二六事件の反乱将校および北〔一輝〕・西田〔税〕等が、真崎内閣を描いていたことは、明らかな事実である。これを北・西田両人の陳述によつてみると、事件直前(二十三、四日頃)西田が北に「蹶起」計画を報告した時、「西田は真崎内閣・柳川〔平助〕陸相と云う様な処が皆も希望して居るし、自分(西田)もそれが良いと思って居ると私(北)に話しました」(北、「聴取書」、第一回、前掲)。「真崎等が出て陸軍の粛正を図り、次いで各方面に亘って昭和維新の第一歩を踏み出すのではないかと云う期待を持ちました(同、第二回)。ただし、北は、最初「荒木・真崎は矢張り一体にならんといけないではないか」と西田に説いたが、西田は「荒木は前の時(陸相の時)に軍内の粛正も出来ず、只言論許り〈バカリ〉で最早や試験済みと云う様に皆は考えて居る様です」といって、荒木を用いるのに反対している(北、「聴取書」、第一回*)。ところがこの肝心の真崎の出馬について、事前了解がなさそうなのである。――「私(北)は西田に向かって『真崎・荒木、その他満井〔佐吉〕大佐・石原〔莞爾〕大佐・小畑(敏)少将・鈴木(貞)大佐等と事前に十分の話合をして無かったのか』と問い質しました。西田は『一人も話してありません』と答えました」(「聴取書」、第二回)。この北は、二十六日、軍事参議官に対して、青年将校が「台湾の柳川(真崎直系――引用者)を以て次の総理とせられる事を希望する」といったことを、翌二十七日に西田から聞いて大いに苦慮している。――「二月二十七日、私は昨日軍事参議官が、青年将校に対し、諸君と一致して、昭和維新に前進仕様と云う申し出に対して、青年将校側が、柳川を持ち出した、と云う事は、考え方に依れば、列座の軍事参議官全部に対する不信任の意思を明白に表示したものとなりますので、之れは年少客気〈カッキ〉の重大なる過失と考え、事変前、真崎説と云う事を西田から聞かされてあったのとも相違しますので、其点許りを苦慮致しまして、朝床の中で眼を醒ましましても、此前後処置を如何にすべきかを考えて許り居りました。次の朝自分(北)は愈々決心を致しまして此侭にして置けば行動隊を見殺にする丈けである、時局を収拾する事が何よりも急務である、随って時局収集を有利に保護するものの内閣(傍点――引用者)でなけれればならぬと考えました」。しかし「気の立って居る人々にこうゆうことは申せませんから」と、西田に栗原(?)を電話口に呼び出させ、北はこういっている。――「やあ暫らく、愈々やりましたね。就ては君等は昨日台湾の柳川を総理に希望していると云う事を軍事参議官の方々に話したそうだが、東京と台湾では余り話が遠すぎるではないか、何事も第一善を求めると云う事はこうゆう場合に考う可きではありません。真崎でもよいではないか。真崎に時局を収拾して貰う事に先ず君等青年(将校)全部の意見を一致させなさい。そうして君等の意見一致として真崎を推薦する事にすれば、即ち陸軍上下一致〈ショウカイッチ〉と云う事になる。君等は軍事参議官の意見一致と同時に、真崎に一任して一切の要求などは致さない事にしなさい……」(「聴取書」、第二回**)
 (*)北は、第四回「聴取書」においても同様のことを述べている。――
「真崎内閣と云う事に対して、私は矢張り真崎・荒木の一体になって行くのが良いではないかと申しましたが、西田は用いる風がありませんでした。西田は真崎内閣を以て自ら時局の収拾をやって行き得る確信を持っている様に私に見えました」。
 (**)同一の陳述が第四回「聴取書」にもある,〈407~409ページ〉【以下、次回】

 最初のほうに、「ニコポル」という言葉が出てくるが、これは「ニコポン」を動詞化したものであろう。「ニコポン」は、ニコっと笑ってポンと肩をたたくこと、つまり、相手を懐柔するために愛想を使うこと。
 小畑(敏)、鈴木(貞)は、それぞれ、小畑敏四郎(おばた・としろう)、鈴木貞一(すずき・ていいち)のことである。

*このブログの人気記事 2024・6・28(8位になぜか中村春二、9位になぜか福沢諭吉)

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