よく思う事が
『ひとつの事柄を 自分が受けた理解だけで
当たり・ハズレと
すぐに決めなくても いいんじゃないかな~』って。
そしたらそれでその事は “終わりの事” で
片付けられて それで終わり。
例えば 腹を立てて終わり。
なぜ~そのような表現でこちらに伝えているのか?
ある程度 何かしらの意図があって そう
伝えている事も多々あると思うんですね。きっと。
直接的に伝えると これまた受け取りずらい言葉になって
それこそ痛い事につながる。
でも それはそれでいい時ももちろんあって
ストレートにご指摘されなかったら気付かなかった、
な~んてことで目が覚める。
しかし ひと癖あって まして 間逆の事を言われている時!
その時こそ 何かと自分自身に問いかける 「時」を
わざわざと提示している様にも思います。
じゃあどんな風に問いかける?
「なぜ 今そのキーワードが出てきているのか?」とか
「どうして そこを突いてくるのか」とか
「何が この事態になっていくのか?」などなど。
実は そうゆう自分が居たり・押さえつけている部分であったり
欲求として理想であったり・無い物部分であったり。
または 違う角度からこじつけていく事も
感じる感性を呼び覚ます事にもなります。
感じる感性で自分自身と付き合っていくと
とっても楽になんなく歩いて行ける事に気付くと思うんです。
感じる感性で過ごしていくと
使う言葉も自然に変わってきます。
「わ~☆」とか「きゃ~♪」とか「い~!!」とか
言葉にならない言葉が増えてくる!
なんせ心が先に発する声は 肌の声みたいだから。
きっとそれと同時にお顔も身体も大きく動いていると思います。
無表情で話ができなくなるから。
心の声は自分全部でこぼれてくるから。
だからちゃんと目を見て伝えたい。
聞いてくれてありがとうございます。
聞かせてくれてありがとうございます。
学びをありがとうございます。
共感をありがとうございます。
勤勉をありがとうございます。
理解をありがとうございます。
色んな所から実は ヒントがあるんですね。
神様は時にいたずらみたいな事をして
一緒に遊ぼうとしているみたいです。
そんな時はきっと 一緒に遊ぶ時なんでしょうね。
一旦 今の目の前の事から目線を外して。
笑顔を見たいと思っているのかも知れないですね。
自分自身の心も。
寛容なスタンスに戻すサインですね。
『物事を一辺倒で見つめない。
物事をいくつもの角度で感じ取ること。』
この事を 一休さんに教えていただきました。
*新しい事でもない きっと誰でもが一度は聞いた事のある事。
でもそれを私達はすぐに忘れてしまう。
だからいつまでもいつまでも
学びがあり 気付かされる事があるのでしょうね。
ありがたいことです。
本当にありがとうございます。
愛あふれる存在に ありがとうございます。
光降り注ぐ存在に ありがとうございます。
心からありがとうございます。
栗原みさこ
『ひとつの事柄を 自分が受けた理解だけで
当たり・ハズレと
すぐに決めなくても いいんじゃないかな~』って。
そしたらそれでその事は “終わりの事” で
片付けられて それで終わり。
例えば 腹を立てて終わり。
なぜ~そのような表現でこちらに伝えているのか?
ある程度 何かしらの意図があって そう
伝えている事も多々あると思うんですね。きっと。
直接的に伝えると これまた受け取りずらい言葉になって
それこそ痛い事につながる。
でも それはそれでいい時ももちろんあって
ストレートにご指摘されなかったら気付かなかった、
な~んてことで目が覚める。
しかし ひと癖あって まして 間逆の事を言われている時!
その時こそ 何かと自分自身に問いかける 「時」を
わざわざと提示している様にも思います。
じゃあどんな風に問いかける?
「なぜ 今そのキーワードが出てきているのか?」とか
「どうして そこを突いてくるのか」とか
「何が この事態になっていくのか?」などなど。
実は そうゆう自分が居たり・押さえつけている部分であったり
欲求として理想であったり・無い物部分であったり。
または 違う角度からこじつけていく事も
感じる感性を呼び覚ます事にもなります。
感じる感性で自分自身と付き合っていくと
とっても楽になんなく歩いて行ける事に気付くと思うんです。
感じる感性で過ごしていくと
使う言葉も自然に変わってきます。
「わ~☆」とか「きゃ~♪」とか「い~!!」とか
言葉にならない言葉が増えてくる!
なんせ心が先に発する声は 肌の声みたいだから。
きっとそれと同時にお顔も身体も大きく動いていると思います。
無表情で話ができなくなるから。
心の声は自分全部でこぼれてくるから。
だからちゃんと目を見て伝えたい。
聞いてくれてありがとうございます。
聞かせてくれてありがとうございます。
学びをありがとうございます。
共感をありがとうございます。
勤勉をありがとうございます。
理解をありがとうございます。
色んな所から実は ヒントがあるんですね。
神様は時にいたずらみたいな事をして
一緒に遊ぼうとしているみたいです。
そんな時はきっと 一緒に遊ぶ時なんでしょうね。
一旦 今の目の前の事から目線を外して。
笑顔を見たいと思っているのかも知れないですね。
自分自身の心も。
寛容なスタンスに戻すサインですね。
『物事を一辺倒で見つめない。
物事をいくつもの角度で感じ取ること。』
この事を 一休さんに教えていただきました。
*新しい事でもない きっと誰でもが一度は聞いた事のある事。
でもそれを私達はすぐに忘れてしまう。
だからいつまでもいつまでも
学びがあり 気付かされる事があるのでしょうね。
ありがたいことです。
本当にありがとうございます。
愛あふれる存在に ありがとうございます。
光降り注ぐ存在に ありがとうございます。
心からありがとうございます。
栗原みさこ