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Web Master's Room

バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

北海道記 再び 2

2006-07-17 09:57:49 | 思い出
昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪震えた夏≫

30時間の船旅の後
小樽港に接岸、北海道に第一歩を示す。

着いた日もそうだったが
今年の夏北海道は異常低温で本当に寒く
九州で言えば3月くらいの気温だ。
その上ほとんど毎日雨と霧で日光さえさす日は数える程だ。
そういう訳で作物は不作でトウモロコシはまだ実をつけてはおらず
結局最後まで新ジャガは口にすることは無かった。
田畑の作物だけではなく野山の木々もそうだ。
だからだろうか山の木の実を食べ物にしている動物たちが
よく国道まで降りてくる。

バイクの前を薄汚れた痩せた犬が横切ったなと思うと
それがあの有名なキタキツネであったり
時にはエゾシカがいたりする。
さすがに熊は見ることはなかったが
“熊に注意”の立て札があちこちにありびっくりさせられる。

しかし最近のテレビや新聞を見ていると
今年はやはり熊の被害が多いと聞く。
山に食べ物が無いのだろう。
作物にとっても動物にとっても
そして人間にとっても寒すぎた夏であった。

つづく。

北海道記 再び 1

2006-07-16 06:38:19 | 思い出
初めて行った北の大地
初めて書いたツーリングレポート。
大事な思い出が戸棚の奥のアルバムにある。
今からちょうど20年前の出来事である…。
その時の感動をもう一度。
ここに改めて書き記す事にする。

昭和61年7月16日~31日 16日間5554.1kmの思い出

≪北への思い≫

毎日、排気ガスで汚れた大気の中を
車と車の間を縫うように走っているライダーは
緑いっぱい広がる大地の中で
数10kmも真っすぐな白いセンターの道を
Tシャツ一枚で光を風を直接肌に感じてみたいと思う。
そんな思いで日本中から北海道を目指して
夏になると多くのライダー達が集まってくる。
それを見て地元の人たちはミツバチ族と呼んでいる。
ブンブンいって走っている姿を
そのように呼んでいるところをみると迷惑な話なのだろうが…。
そして私も今年の夏は北行きフェリーに乗っていた。

船の2等室のほとんどはライダーとサイクリストである。
彼らはみんな北を目指しているから友となるのは簡単である。
少しだけ勇気を出して声をかければよい。
Bikeという乗り物は基本的には一人で乗るものだから
運転している時は完全な孤独で
みんなと楽しく乗る車とは異なっている。
だからBikeを降りている時は初めての人ともよく話をするのだ。
Bike同士がすれ違う時も挨拶としてVサインをする。
そんな車にはないBike乗りの連帯感が不思議なくらい私を引きつけている。
まあ、変わり者が多いのはその為か?
だいたい貧乏学生が多いが、やっとの思いで休暇をとった社会人
この為に会社を辞めた人、故郷を捨てて永住を希望する人など
それ程北の大地の魅力はライダーにとって大きなものである。

つづく。

大雨が降ると思い出す 後編

2006-07-07 09:30:09 | 思い出
日のとっぷり暮れた大雨のR4をひたすら南下する。
夜の闇とKLXの心もとないヘッドライトの明かりに加え
シールドの雨雫が視界をさらに妨げ
何処を走っているのすらわからない。

雨は止む事は無く
むしろどちらかといえば状況は悪化する一方だ。
足元のブーツカバーはすでに役目をなしていない。
5月とはいえ濡れた足元は感覚も麻痺しているし
高価だったレインコートも激しい雨に浸みてきている。

もうすでに9時頃をまわっているのだろうか?
この雨では宿を探すのも大変だ。
もちろんテントを張るわけにもいかず
いつものように駅寝にすることにする。

山奥のローカル駅を探してバイクを走らせるが
こんな日に限ってなかなか見つからない。
アンダーウエアーもすでにビショビショ状態。
仮に駅を見つけてもこのままでは寝ることもできないだろう。
どこか服を乾かすことができる場所は…。
さらに1時間近く走った。
東北の山奥にそんな場所はあるはずも無かった。

山形くらいだったと思う。
人里離れた山奥に怪しいネオンを見つけた。
そう、ラブホである。
いや、正確に言うならばモーテルというやつである。
もちろん一人で行く場所ではないが
風呂に入ることができ
服を乾かすことができ
おまけに暖かい布団で寝ることができる。
疲れ果てた思考能力ではそれ以上の事は判断できなかった。
引きつけられるようにその小屋の下に愛車を停め
階段をあがっていった。

まもなくオヤジがやってきて
ゴールデンウィーク中なのでといって
3割り増しの料金の支払いを求めてきた。
“一人なんだから半額だよぉ”っと心で叫び
しかしそれに反論する事ができる訳も無く
そんな桃色な夜は更けていった。

翌日、昨夜の大雨は嘘のように晴れ渡り
腹いせでエアコンをガンガンかけて
パリパリに乾いてしまったウエアーを着て
アベックの車といっしょにそこから出発した。

今でも大雨の中を走ると思い出す。
その度にヘルメットの中でニヤッとする
昔の思い出。

大雨が降ると思い出す 前編

2006-07-06 11:06:48 | 思い出
ここ2,3日の大雨にはウンザリする。
梅雨なので仕方はないのだが。
こんな大雨を見ていると思い出す事がある。

すでに北海道を一周して、あと東北をぐるりと回れば
念願のほぼ日本一周が完結する。
それを達成するツーリングでの事です。

“あー、あのフェリーに乗ればまた北の台地かぁ。”
陸奥湾を北上するフェリーを眺めて思っていた。
でも今回の目標は東北一周。
後ろ髪を引かれる思いで青森を出発した。

もうすでに日が暮れかかっていた。
日程的にも今日はできるだけ南下しておきたい。
しかし雲行きが怪しい。
そしてポツポツと雨が降り出した…。
やがて本降りに…。
雨夜のナイトランとなってしまった。

今日は時間が無いので (^^ゞ
つづく。

初転倒

2006-06-23 11:27:09 | 思い出
私はバイク乗りの中で教習中の転倒の事を書いたが
実は初転倒はそれではありませんでした。
それはRZ50をブイブイ、いや正確にはビービーいわしていた頃。

その頃は雨が降ろうと雪が降ろうと毎日乗っていました。
そしてその日は雨でした。
当然カッパを着て乗っているとどこかに違和感があるのは事実でしょう。
操作が緩慢になっていたのかもしれません。

青信号で大きな交差点を右折しようとしたら
フロントタイヤからスッテンっといってしまいました。
自分でも何が何だかわかりませんでした。
振り返って見るとそこにはマンホールがありました。
きっと雨ですべりやすくなっていたのでしょう。
幸い、相手も無く、バイク自体も軽症でしたが
交差点の真ん中で恥ずかしい思いをしました。

そういえば最近は道路でマンホールを見ることはあまりなくなりましたが
晴れていても今でもマンホールの上を走る時は気をつけています。
でも初転倒って忘れないものですよね。

その後…

2006-06-14 09:12:35 | 思い出
以前書いたバイク仲間のその後です。

良治はその後、普通車の免許を取り車を買いました。
伸介はその後、自動二輪の免許を取りVF400を買いました。
そのバイクは最新型で私のRZとよくちょい乗りをして楽しみましたが
彼の大学が遠方に決まったので
そのバイクでいっしょにツーリングに行くことはありませんでした。
しかしどこか問題があったのでしょう。
異常に燃費が悪い、悪いっといってた記憶が鮮明にありました。
そしてやはり大学卒業後、車に乗り換えてしまいました。
大作もその後、車を購入します。

今はみんなそれぞれの生活をしているいいオヤジなんですが
やっぱり今だにバイクに乗っているのは私だけです。

Zapper 知覧で再起不能? 2

2006-06-10 14:08:23 | 思い出
でもメインスイッチをオンにすると
ニュートラルスイッチは点灯している。
一応念の為にすべてのヒューズを確認したが問題なし。
っと言う事はハーネス系か?

仕方なく歩道の上でバイクを分解。
キャリアに積んであったバックを降ろし、シートをはずし、タンクをはずし
フレームのみになった姿でハーネスを一本一本チェックする。
が問題はなさそう。

困った、原因がわからない。
電気系統であることは察しがつくが
持病のヒューズ飛びでなく
ハーネスに問題がなければセルモーター自体の問題か?
そうなればここでの修理はできなくなる。
とりあえずメンテをお願いしているバイク屋に電話するが
やはり電話では解決できそうにない。

時刻は14:00をまわっている。
ここから自宅まで約500km、高速をかっとんでも5時間くらいかかるので
もうこちらをでないと日が暮れるまでに帰り着く事は不可能な時間なのに
愛車はいっこうに動きそうにない。
愛車を置いて電車で帰宅か?っと考えたが
またこちらにバイクを回収に来なければならない。
ちょっと面倒。

幸い、私の弟が1BOXを持っていたので緊急回収命令を発動しました。
弟にとっては大変迷惑な話でしょう。
あと30分いろいろやってみるので
その間で回収の準備をしておく様に言ってました。

もう一回怪しい所を確認するが問題は解決できない。
やはりヒューズ関係か?
念の為にもう一度ヒューズをはずしてみる。
問題はない…。
このヒューズは丸管タイプでそれを挟み込むタイプになっている。
もしかして…。
その接点の場所をマイナスドライバーで磨いてみる。
そしてヒューズを取り付ける。
頼むぞ!
セルボタンを押す。
ブロロロローン!
かかった!

結局原因ってこんなものです。
きっと接点が熱で焼けていて
通電が不良になっていたんでしょう。
旧車は何処が壊れるかわからない。
でも原因は意外と簡単な事が多い。
人間関係といっしょだな。

急いでバイクを組み立て荷物を積んで知覧を後にする。


Zapper 知覧で再起不能? 1

2006-06-09 10:00:23 | 思い出
知覧つながりでもうひとつの話を。

やっぱり、涙・涙・涙の特攻平和会館を後にして
帰宅の途につこうとしたときの事。
駐車場を出発して赤信号で停車。
信号が変わったのでスタートしようとアクセルを開けた瞬間、エンスト…。
すぐさま再度セルのスイッチを押したがうんともすんとも言わない。
どうすることもできず、交差点を押して歩道に停める。
停車している車の運転手や横断中の人の熱い視線、カッコ悪~ぅ…。

当時の愛車はKAWASAKI Z650 通称Zapper。
その頃でもかなりの旧車で、あのZ750ことZ2の後に発売された
俊足を狙った日本人の体格にあった名車です。
そのバイクとの出会いは後日の“私はバイク乗り”のコラムで紹介します。

このバイク持病がありましてヒューズがよく飛ぶんです。
ハーネス自体が古くて硬化しているせいか原因がはっきりしませんでした。
なので予備のヒューズは必需品でいつも5~6本持ち歩いてました。
「あー、また飛んだかぁ」っとその時は思いました。
いつものようにサイドカバーをはずしヒューズボックスを開ける。
今ではお目にかからない丸管ヒューズだ。
いつものようにヒューズをはずし空に向かってかざして見るが
切れてる様子は見られない。あれ。
とりあえずいつものように交換用のヒューズをセットする。
いつものようにこれで修理完了のはずでした、が
セルボタンを押してもうんともすんともいわない。
「えー、うそぉー」
ここから自宅までは約500km。
どうすればいいのよぉー。

つづく

悲しき関門トンネル

2006-05-31 09:33:17 | 思い出
私はバイク乗りで紹介したミニタンに乗っていた頃の話。

山口にツーリングに行くことになったが問題がひとつ。
こいつは50ccで関門国道トンネルを通行することができないのだ。
通行可は原付2種以上。
なので人道トンネルを通る事になる。

国道の入口からさらにめかり神社の方に進み
関門大橋の橋の袂にその入口はある。
人は無料だがバイクは20円なり。

エレベーターの前に料金箱があり小銭を入れる。
下りのボタンを押すと扉が開きバイクを積み込む。
かなり深いのかしばらく乗っていると入った時と反対側の扉が開く。
つまり方向転換をしなくてもそのまま降ろせる訳だ。

人道は車道の下側を通っているらしく
どこか薄暗い坑道は車の地響きと排気ガス臭い。
坑道は中央部に向かって下っているので跨ったまま惰性で下るが
中央部から先は上り坂。
人も通るので自転車やバイクは押してくださいっと注意書きがあったが
自転車ならまだしも50ccとはいえバイクは重い。
朝早くまだ誰もいなかったのをいい事にエンジンを掻け出口を目指した。
もちろん出口にもエレベーターがあり地上の扉が開くと
そこには怖い顔した係員が!!!
トンネル内には監視カメラが付いていてその行動を見られていたのだ。

「バイク乗っちゃ駄目って書いてあるだろ!!!」
そのとおりです…。
ちょっと反省、ゴメンナサイ。

「そんな事したら二度と通してやらないぞ!」って言われた。
そそくさとその場を退散してツーリングを続けたが
帰りもやっぱりその場所を通らなければならない。
どうしようか…。
悩んだけれどやっぱり答えはひとつ。
ドキドキしながら戻ってきたが
その係員はいませんでした。
よかった…。
小心者の1コマでした。