おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

大いなる西部

2020-11-24 08:22:17 | 映画
「大いなる西部」 1958年 アメリカ


監督 ウィリアム・ワイラー
出演 グレゴリー・ペック
   チャールトン・ヘストン
   ジーン・シモンズ
   キャロル・ベイカー
   チャールズ・ビックフォード
   バール・アイヴス

ストーリー
1870年代のテキサス州サンラファエルに、東部から1人の紳士ジェームズ・マッケイ(グレゴリー・ペック)が、有力者テリル少佐(チャールス・ビックフォード)の1人娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するためにやってきた。
出迎えた牧童頭のスチーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)は彼に何となく敵意を示した。
スチーヴは主人の娘に恋していたのだ。
途中まで許婚者を迎えたパットは、スチーヴを先に帰してジェームズと父の牧場に向かったが、途中で酒に酔ったハナシー家の息子パック(チャック・コナーズ)たちに悪戯をうけたが、ジェームズは彼らを相手にしなかった。
パットの父テリル少佐は大地主ルファス・ハナシー(バール・アイヴス)とこの地の勢力を二分し、争っていた。
2人が共に目をつけている水源のある土地ビッグ・マディを、町の学校教師でパットの親友ジュリー・マラゴン(ジーン・シモンズ)が所有していた。
彼女は一方が水源を独占すれば必ず争いが起こるところから、どちらにも土地を売ろうとしなかった。
少佐は娘の婿にされた乱暴に対して、ハナシーの集落を襲い、息子たちにリンチを加えて復讐した。
そんな少佐の態度にジェームズは相いれないものを感じた。
彼は争いの元になっている土地ビッグ・マディを見て、女主人ジュリーに会い、中立の立場で誰にでも水を与え、自分でこの地に牧場を経営したいと申し出て彼女と売約契約をかわした。
一方血気にはやるパットと父の大佐は、慎重なジェームズの態度が不満だった。
水源地ビッグ・マディを手に入れて大佐に対抗するため、ハナシーはジュリーを監禁する挙に出た。
ジェームズは単身本拠にのりこみ、水源は自由にすると明言してジュリーを助け出そうとする。


寸評
西部を背景に織り成す長編ドラマで、激しい銃撃戦や喉かな牧場のシーンは少なく、平和的な解決を望む主人公は常に丸腰なので、イメージする西部劇らしくない作品となっているが、そこが魅力的ともいえる。
導入部は先進的と言える東部から主人公のマッケイが開拓途上らしき西部の町にやって来る所から始まるのだが、続いて描かれるマッケイと婚約者のパットが襲われるシーンでこの映画の背景がすべて描かれる。
マッケイが無抵抗なのに対して、パットは銃を手に取り攻撃しようとする。
ここでマッケイは争いを好まない紳士的なキャラクターで、パットは西部の女そのものというキャラクターであることがわかるし、テリル家とヘネシー家が対立しているという構造を端的に見せている。
またここでバックがマッケイの帽子を撃つが命中していないということも描かれて、バックの銃の腕前が大したことはないと暗示されていて、ラストシーンのバックの姿を暗示している。
マッケイとパックの違い、マッケイとパットの相違などをチラリと描き、後半の展開に説得力を持たせる導入部としているのだが、わずかの時間でそれだけの内容を描き切っているのは流石にウィリアム・ワイラーと思わせる。

この作品における善者はマッケイと教師のジュリーだと思うが、反面、反目し合うどちらか一方が善という図式が多い中にあって、敵対するテリルーとハナシー両者ともに善玉と言う感じではない。
特に、一応の悪役であるヘネシーがただの悪人ではなく、マッケイとパットとの婚約披露パーティに現れて行う演説とか、ジュリーを襲おうとした息子のバックを殴って叱りつけたり、事件のけじめを昔ながらの決闘でつけようとしたりするなど、彼には彼なりの正義があるというキャラクターで描いているのが面白い。
この作品で一番面白いキャラクターがバール・アイヴス演じるハナシー親父で、テリル少佐の影は薄い。
そこにいくと僕たちの世代には「ライフルマン」というテレビドラマを思い出す息子役のチャック・コナーズが卑怯者の代表のような描かれ方で、一番の嫌われ役となっている。

映像的にはカメラが引いた遠景のシーンに風情を感じる。
建物が密集していない建設途中とでもいうべき町の姿にはじまり、広大な土地の映像はビッグ・カントリーという呼び名ににふさわしと思わせるし、マッケイとリーチの格闘場面などはロング・ショットに無音のタイミングを入れることで雰囲気を出し、印象に残る中々いいシーンとなっている。
テリル一家とハナシー一家が戦う銃撃戦の場面でもロング・ショットが効果的に用いられている。
特に二人が決闘に向かうシーンはなかなかいいアングルで二人をとらえている。
とは言いながら、全体的には盛り上がりに欠けるところがあり、この内容にして3時間近い上映時間は少々長すぎるのではないかと感じるのだが・・・。
もう少し要領よくまとめられたのではないかと思うのだが、もしかするとウィリアム・ワイラーは開拓時代の西部を感じ取る雰囲気映画を目指したのかもしれない。
あるいは制作された時代を考えると、無抵抗、非暴力を訴えたかったのかもしれない。
マッケイはジュリーと牧場を再建するのだろうが、そうなればパットは二人の姿をどんな思いで見るのだろう。
あるいはパットはリーチと結ばれることになるのだろうか。
そんな後日談を想像してしまう。


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