「Queen Victoria 至上の恋」 1997年 イギリス
監督 ジョン・マッデン
出演 ジュディ・デンチ
ビリー・コノリー
アントニー・シャー
ジェフリー・パーマー
リチャード・パスコ
デヴィッド・ウェストヘッド
ストーリー
1861年。ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)は夫アルバート公を亡くし、3年もの長きに渡りワイト島のオズボーン宮に蟄居して喪に服した。
滞った公務を処理すべく、政財界は亡くなったアルバート公の信頼厚かったスコットランド人従僕ブラウン(ビリー・コノリー)を悲嘆に暮れる女王の馬の世話係として宮に派遣する。
純朴な彼は女王の憔悴ぶりを目のあたりにして衝撃を受ける。
ブラウンは自分の意志で行動してはいけないと言われているが意に介さない。
中庭で白い馬と共に女王を待つブラウンの姿を見て、命じていないとしてやめるよう告げる。
それでも懲りずに何日もの間立ち尽くすブラウンを目にした女王は、連れ出されるように久々に戸外へと出る。
規則を破って女王を外に連れ出したりする献身的なブラウンに、やがて女王は心を開くようになっていった。
心ない周囲の動きもあったが、女王のために忠誠を尽くし続けるブラウンは女王の心に変化をもたらしていた。
亡き夫の喪に服していたヴィクトリア女王は、ブラウンへの気持ちの変化を感じて司祭にとまどう胸の内を明かしたが、愛した夫への想い出と新たな感情は両立すると諭される。
一方、ブラウンは彼に悪意を持つ人々のためにあらぬ誤解を受け苦しみ、ついに女王にその危害が及ぶことを恐れて辞職を願い出た。
だが、女王は「私はあなたなしでは生きていけない」と告げて彼の手をとって口づけをする。
ブラウンも女王の手に長く接吻を返すのだった。
ロンドンから遠く離れた場所に居続け、公務に就こうとしない女王だったが、首相は君主制の存続の為に公務につくよう説得するようにブラウンに告げた。
寸評
僕はイギリス王室についてまったくと言っていいほど知識がなく、スキャンダルを含む個人的な話は現在のエリザベス女王に関係する人たちのことしか知らない。
女王の子供たち、すなわちチャールズ、アンドルー、エドワードという三人の息子と娘のアン、さらにチャールズと結婚したダイアナ妃、彼女の息子であるウィリアム王子とヘンリー王子などであるが、他国の王室に比べればその認知度は格段に高い。
マスコミの恰好の餌食となってゴシップが多い王室でもあることが認知度を高めていると思われる。
ここで描かれたヴィクトリア女王とブラウンの間に不適当な関係があるとか、秘密結婚していたとかの風説もあったらしいが、ここでの描かれ方はお互いに秘めたる愛情を抱いていたというものとなっている。
ヴィクトリア女王の63年7か月に及ぶ治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれて一大植民地帝国を築き上げ、イギリスが最も繁栄した時代だったであろう。
そんな女王も個人的には公務に追われて心が休まる暇もなく、古くからの伝統に縛られた生活を送っている。
古くからの伝統に縛っているのは変化を好まない回りの者たちだ。
そこにブラウンと言うズケズケものを言う男がやって来て、喪に服して心を閉ざしている女王を導いていく。
君主制を巡る政争も描かれるが、それは添え物的で映画はあくまでもヴィクトリア女王がブラウンへ信頼を寄せていく様子と、ブラウンの献身的な女王への忠誠、回りの者たちのブラウンへの嫌悪を描いていく。
ブラウンの傲慢な態度は、彼のもともとの資質もあったのだろうが、女王の庇護があってのものだ。
よき友人関係と言っているが、やはり愛情はあったのだろう。
何処の国でも王室、皇室の人たちに愛が絡むとややこしいものがあるようだ。
わが国でも2021年には秋篠宮殿下の長女である眞子内親王の結婚問題がマスコミをにぎわした。
男どもを支配するヴィクトリア女王を演じたジュディ・デンチが素晴らしい。
圧倒的な貫禄と威圧感で、子供たちと侍従たちを顎で使う姿に引き込まれてしまうものがある。
その女王にものが言えるのはブラウンだけなのだが、ブラウンの居丈高な態度には少々嫌味な部分も感じられ、それが従来からの宮廷人には嫌われる要因となったのだろう。
実際、彼は宮廷人に嫌われていたようで、そのあたりの状況は上手く描けている。
我が国の皇室にも同じような状況があるのではないかと想像してしまう。
想像できてしまえるから、この映画は面白いと感じ取れる。
イギリス映画らしい風格を持った作品で、ジョン・マッデンはアメリカに渡って、1998年に「 恋におちたシェイクスピア」を撮っているが、その後にパッとした作品がないのはどうしたことか。
女王の息子であるアルバートが馬鹿な息子のように描かれているが、彼はヴィクトリア女王の崩御後にエドワード7世となったのだから、こんな描かれ方をしても良いものかと思った。
日本映画なら時の皇太子を無能的に描くことなどないであろう。
それともヴィクトリア女王もエドワード7世も歴史上の人物になってしまっていて、どのように描こうが国民は何とも思わなくなってしまっているのかもしれない。
エドワード7世がブラウンの胸像を叩き割ったのは事実らしいから、彼の憎しみは尋常ではなかったのだろう。
僕にとってこの映画はロマンス作品と言うより、ヴィクトリア女王の一端を知る事が出来た歴史物であった。
監督 ジョン・マッデン
出演 ジュディ・デンチ
ビリー・コノリー
アントニー・シャー
ジェフリー・パーマー
リチャード・パスコ
デヴィッド・ウェストヘッド
ストーリー
1861年。ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)は夫アルバート公を亡くし、3年もの長きに渡りワイト島のオズボーン宮に蟄居して喪に服した。
滞った公務を処理すべく、政財界は亡くなったアルバート公の信頼厚かったスコットランド人従僕ブラウン(ビリー・コノリー)を悲嘆に暮れる女王の馬の世話係として宮に派遣する。
純朴な彼は女王の憔悴ぶりを目のあたりにして衝撃を受ける。
ブラウンは自分の意志で行動してはいけないと言われているが意に介さない。
中庭で白い馬と共に女王を待つブラウンの姿を見て、命じていないとしてやめるよう告げる。
それでも懲りずに何日もの間立ち尽くすブラウンを目にした女王は、連れ出されるように久々に戸外へと出る。
規則を破って女王を外に連れ出したりする献身的なブラウンに、やがて女王は心を開くようになっていった。
心ない周囲の動きもあったが、女王のために忠誠を尽くし続けるブラウンは女王の心に変化をもたらしていた。
亡き夫の喪に服していたヴィクトリア女王は、ブラウンへの気持ちの変化を感じて司祭にとまどう胸の内を明かしたが、愛した夫への想い出と新たな感情は両立すると諭される。
一方、ブラウンは彼に悪意を持つ人々のためにあらぬ誤解を受け苦しみ、ついに女王にその危害が及ぶことを恐れて辞職を願い出た。
だが、女王は「私はあなたなしでは生きていけない」と告げて彼の手をとって口づけをする。
ブラウンも女王の手に長く接吻を返すのだった。
ロンドンから遠く離れた場所に居続け、公務に就こうとしない女王だったが、首相は君主制の存続の為に公務につくよう説得するようにブラウンに告げた。
寸評
僕はイギリス王室についてまったくと言っていいほど知識がなく、スキャンダルを含む個人的な話は現在のエリザベス女王に関係する人たちのことしか知らない。
女王の子供たち、すなわちチャールズ、アンドルー、エドワードという三人の息子と娘のアン、さらにチャールズと結婚したダイアナ妃、彼女の息子であるウィリアム王子とヘンリー王子などであるが、他国の王室に比べればその認知度は格段に高い。
マスコミの恰好の餌食となってゴシップが多い王室でもあることが認知度を高めていると思われる。
ここで描かれたヴィクトリア女王とブラウンの間に不適当な関係があるとか、秘密結婚していたとかの風説もあったらしいが、ここでの描かれ方はお互いに秘めたる愛情を抱いていたというものとなっている。
ヴィクトリア女王の63年7か月に及ぶ治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれて一大植民地帝国を築き上げ、イギリスが最も繁栄した時代だったであろう。
そんな女王も個人的には公務に追われて心が休まる暇もなく、古くからの伝統に縛られた生活を送っている。
古くからの伝統に縛っているのは変化を好まない回りの者たちだ。
そこにブラウンと言うズケズケものを言う男がやって来て、喪に服して心を閉ざしている女王を導いていく。
君主制を巡る政争も描かれるが、それは添え物的で映画はあくまでもヴィクトリア女王がブラウンへ信頼を寄せていく様子と、ブラウンの献身的な女王への忠誠、回りの者たちのブラウンへの嫌悪を描いていく。
ブラウンの傲慢な態度は、彼のもともとの資質もあったのだろうが、女王の庇護があってのものだ。
よき友人関係と言っているが、やはり愛情はあったのだろう。
何処の国でも王室、皇室の人たちに愛が絡むとややこしいものがあるようだ。
わが国でも2021年には秋篠宮殿下の長女である眞子内親王の結婚問題がマスコミをにぎわした。
男どもを支配するヴィクトリア女王を演じたジュディ・デンチが素晴らしい。
圧倒的な貫禄と威圧感で、子供たちと侍従たちを顎で使う姿に引き込まれてしまうものがある。
その女王にものが言えるのはブラウンだけなのだが、ブラウンの居丈高な態度には少々嫌味な部分も感じられ、それが従来からの宮廷人には嫌われる要因となったのだろう。
実際、彼は宮廷人に嫌われていたようで、そのあたりの状況は上手く描けている。
我が国の皇室にも同じような状況があるのではないかと想像してしまう。
想像できてしまえるから、この映画は面白いと感じ取れる。
イギリス映画らしい風格を持った作品で、ジョン・マッデンはアメリカに渡って、1998年に「 恋におちたシェイクスピア」を撮っているが、その後にパッとした作品がないのはどうしたことか。
女王の息子であるアルバートが馬鹿な息子のように描かれているが、彼はヴィクトリア女王の崩御後にエドワード7世となったのだから、こんな描かれ方をしても良いものかと思った。
日本映画なら時の皇太子を無能的に描くことなどないであろう。
それともヴィクトリア女王もエドワード7世も歴史上の人物になってしまっていて、どのように描こうが国民は何とも思わなくなってしまっているのかもしれない。
エドワード7世がブラウンの胸像を叩き割ったのは事実らしいから、彼の憎しみは尋常ではなかったのだろう。
僕にとってこの映画はロマンス作品と言うより、ヴィクトリア女王の一端を知る事が出来た歴史物であった。
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